ちづ子へのエール住民とともに(質問のエピソードと会議録など)
活動日誌

3.11から13年にあたって

13年目の3月11日。

 今日3月11日は、東日本大震災の発災から13年目。国会の質問準備のため、被災地には行けませんでしたが、テレビの映像にあわせて黙祷しました。あらためて、犠牲になられた皆様に心から哀悼の意を表するとともに、被災された皆様に心からお見舞いを申し上げます。

 たまたま、夫の入院のため青森にいた私は、停電して情報も十分でなく寒い夜を過ごし、朝紙さんから電話をもらい、大門さんと一緒に車で福島に向かう、とのこと。私はすぐに青森市と県庁に飛び、吉俣洋県書記長[当時・現青森県議)に運転してもらって、盛岡の県庁をめざしたのでした。

 真っ暗な中にぽっかり灯りの灯った県庁。斉藤信県議の控室に菅原県委員長も。現地本部は海保や自衛隊や消防庁などでごった返していましたが、現地と全く連絡がつかず、自衛隊からの連絡が唯一の頼りでした。ともかくホテルを見つけてもらい、翌朝も現地本部を激励、県の危機管理室と話し合い。そして翌日13日、県委員会に県労連など民主団体が集まり、復興県民会議の立ち上げに参加。秋田空港まで送ってもらって国会にもどりました。

 国会に戻って報告、会議、そして翌日には内閣府には申し入れをしました。初動は、燃料、水、電気。そして内陸に支援の拠点をつくれ。当時の申し入れは翌日尋ねた宮城県岩沼市の井口市長に、その通りだ!と言っていただきました。

 あれから13年、たくさんの被災地を周り、数えきれない質問をし、色々見直しできたこともある、、けど今でも、公営住宅での孤独死や、災害援護資金の返済やグループ補助金の四分の1自己負担分の返済、アルプス処理水と見えない廃炉などなど、課題は山積しています。

 一つひとつの場面がドラマの場面のように鮮明に思い出される。大震災は過去の思い出ではない。これからも。そして、能登半島にも生かさなければと思う。

党現地対策本部 宮城県南部を調査/“給水待ち4時間 おにぎり1個の日も”/高橋本部長ら名取・岩沼市に (jcp.or.jp)

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