ちづ子へのエール住民とともに(質問のエピソードと会議録など)
ちづ子通信

13年前の仕事にケリをつけるとは?

 19日、党国会議員団ふくしまチームでいわき市、楢葉町を訪問しました。原発事故から13年半、処理水放出から丸一年。大震災と原発事故を絶対に風化させない、と言う思いがありました。
    富岡町や楢葉町から特に9回も避難先をうつり、やっといわき市内の復興公営住宅に落ち着いたという3人。その中で自宅はもう解体して帰るところがないと言う女性は、「いつまでも避難者と呼ばれたくない、援助などがなくなるのも仕方がない」ときっぱり。それでも「私は13年前の仕事にケリがついていない」というのです。それは、当時介護の仕事をしていて、原発事故のあと一緒に逃げた入所者のうち家族と引き合わせられなかった10数人が残っているのだと。胸が締め付けられました。
 帰還率とか全域解除したとか、あるいはハード面でどれほど整ったか、では見えない一人ひとりの復興のかたち。被災者に寄り添う、と言葉でいうのは簡単だけど。すくなくとも選挙の第一声を福島ではじめたり、「やってる感」だけの自民党政権とは違う!
 楢葉町の松本幸栄町長に会いにいきました。帰還率7割、被災地のトップランナーの自負があります。帰れない町民のことを聞きました。病院がないなどの帰れない理由があり、それは尊重したいと。そうした町民にも月一回町の広報を届けているそうです。避難者、と呼ばれなくても、住民票を移しても、繋がっていたいという気持ちは同じだと思いました。

避難者と懇談=19日、いわき市内
松本幸英楢葉町長らと懇談=19日、楢葉町内

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