2月の第1週は奥能登へ、第2週は質問、第3週は地方公聴会で金沢へ。何かしらの力になりたいとの一心でした。
金沢駅周辺は何もなかったように賑わっていました。そこから半島の突端、珠洲市までは4時間半かかりました。途中のSAで、青森市水道部の青年をみかけ、声をかけると、七尾市に向かっていますと。発災からひと月とはいえ、まだ断水世帯が多く、各地から職員が駆けつけてくれていました。副市長に、「3か月も断水の中で暮らせるだろうか?」と二次避難の必要性を聞いてみると、「物理的な不便よりも、精神的な不便」との答えが。避難所暮らしのストレスに比べれば、水も出ない家でもまだいいとの被災者のために、給水ポイントを増やして頑張っているのです。上下水道一体での整備、自治体負担が限りなくゼロになるようにと予算委員会で求め、国交大臣も力強く約束しました。
井戸水は出るが、傾いている自宅にとどまっている農家さん。「ここから出ていくことは考えられない」と。40町歩の田んぼ、うち39町歩は人から預かった田んぼだといいます。私は、農地の集約と規模拡大を進めてきた結果、「担い手が被災して離農してしまえば地域の農業はなくなってしまう」と指摘。「地域の農業を守るためにも、農家さんの土地に仮設住宅を建設できないか」と提案。防災大臣は、了解得られればできる、と答弁しました。
立ち上がる被災者の思いに応えられるよう、頑張りたいと思います。