24日、女川原発2号機の避難計画には実効性がないとして運転差し止めを求めた訴訟で、仙台地裁は請求棄却としました。「事故が起こる具体的な危険について主張、立証されていない」からといいますが、もちろん納得できません。
私は、原発事故後に新しい規制基準をつくる過程で何度も原子力規制庁とやりとりをしてきました。なぜ再稼働審査の条件に避難計画をいれないのか?と聞くと、規制庁は「避難計画はつくることになっているから」と平気で答えたものです。原発の横を通らないと避難できない伊方原発など、どこでも避難計画は現実性がありませんでした。
ところが、今年の4月27日復興特で、宮城県出身の維新議員が、大震災時に女川原発の中に約360人が避難していたと紹介し、「今後原子力災害のおそれがないという前提の下、原子力発電所を緊急避難施設として活用することはできないのか」と求めたのです。私は仰天して、何も知らないのか!と叫んでいました。
私は、実際に女川原発の体育館で、避難していた町民に会いました。地震で道路が何箇所も寸断されてほかに避難する場所はなかったのです。女川原発から約8キロ、緊急事態防災拠点であるオフサイトセンターが津波で被災し、原子力安全・保安院の保安官と県職員が犠牲になったことも知らないのでしょうか。
こんな質問をする議員だけになったらどうする?ひどい政治を変えるために、必ず勝たなければなりません。
※しんぶん赤旗2023年5月27日付「北海道・東北のページ」のコラムを掲載しています。