2004年、福井市の豪雨対策本部会議を傍聴した時のこと。「避難所が浸水した」など緊迫した議論の最中に、自民党のM衆議院議員がどかどかと入ってきて「あいさつさせろ」と言いました。「明日、政府調査団が来るから」とだけ言って、出ていったのです!
職員が気を使って私にも一言どうぞと。「被災者生活再建支援法を改正して最初の災害です」。市長は、そうか、という顔。以来、与党は大臣や予算をもっていると自慢するが、一番早くかけつけるのは共産党の地元議員で、ずっと被災者に寄り添い頑張るのも共産党ならでは、と胸に刻みました。
11日、むつ市の水害調査では、落橋箇所の目の前、風間浦村にいくために山道を2時間かけてう回しました。13日七戸町と八戸市、19~20日むつ市、東通村、六ケ所村。準備をしてくれた地元議員さんに感謝です。
東通村の畑中稔朗村長とは、大津波想定の避難所つくりや備えで話が弾みました。村の大半が山林原野、人口密度が極めて低い中での努力に敬意。私は、全国の原発が止まった時、村の建設業の女性から「仕事が全くなくなった。原発をやるかやらないかハッキリしてほしい」と言われたこと。原発ゼロ提言をもち自治体を回り、国会では「原発依存の自治体財政からの脱却」を質問したことを報告。原発との共生を掲げる村長も、「いずれにしても、国が前面に立つべき」だと応じました。
出会いと発見を重ね、党ならではの思いを強くする日々です。
※しんぶん赤旗2021年8月28日付「北海道・東北のページ」掲載のコラムです。