1926年の冬、山形県出身の故松岡俊三衆議院議員が大石田町での講演のあと肺炎を患い、入院。病室の窓からしんしんと降り積もる雪を眺めて、人々を病人にし、生産を奪う恐ろしい雪だと感じ、雪害対策運動に生涯をかけたといいます。10数年前、雪研究の雑誌で読んだことがありました。HP「おおいしだものがたり」でも見ることができます。松岡氏は自民党の前身、立憲政友会の議員でした。
今冬は日本海側の大雪や北陸、関越道に続いて19日には宮城県大崎市で死者も出る多重事故が起きてしまいました。20日、藤野保史衆議院議員、井上哲士、紙智子、岩渕友、武田良介各参議院議員とともに小此木八郎防災担当大臣に申し入れました。
「大臣、雪は災害と発信してください」と私。これほど古くから雪害と言われていながら、秋田でさえ雪害で災害救助法適用になったのは初めて。災害対策基本法の災害の種類に「豪雪」と書き込まれたのはごく最近、2012年のことです。
青森県議初当選の1999年。その冬は、演説しているとどこでも雪出しする市民がいて、「融流雪溝の設置など、生活密着の公共事業を進めます」と訴えました。2002年大雪の年は市議団と上京し、故松本善明議員の紹介で、政府交渉。通学路が雪でふさがれ、車の間を小学生が歩いている写真は、さすがの財務省も唸っていたのを思い出します。
緊急事態宣言の今、現地に行けずにつらいですが、除排雪予算は早めに出すとメッセージを。災害救助法の徹底活用、農業被害対策、高齢者世帯支援、制度の周知など大臣がリーダ―シップを、と迫りました。大臣は富山、新潟を視察し、2メートルもある雪の山に驚き、「見ていくだけじゃだめだ!」と言われたそうです。その場に20日の要請のアポ電を入れた私は、「大臣、決意して帰ってきたんですね!」と激励しました。
※しんぶん赤旗2021年1月23日付「北海道・東北のページ」のコラムのタイトルを一部変更、加筆しての掲載です。