子どもの頃、秋田の小さな鉱山町ですし屋を営んでいた両親は、盆や正月が休めない代わりに毎年必ず家族旅行に連れていってくれました。ある朝突然、「ちっこ、ハワイさ行くぞ」と起こされて、飛行機ではなく電車を乗り継いでたどり着いたのは福島いわき市。のちに映画「フラガール」で有名になった常磐ハワイアンセンターでした。父はいつも突然で、噴火した岩手県駒ケ岳めがけて夜中に出発し、小岩井農場でポニーに乗るはずが、車酔いでふらふら?ねぶた祭は当日なんて宿がとれるわけもなく、頼み込んだ旅館は客室ではなく家族の一室に泊めてくれました。箪笥の上に甲子園の砂が飾ってあって、「ああ、この部屋の主は甲子園に行ったんだな・・」なんて思いめぐらし。日光東照宮から出羽三山、中尊寺等々神社仏閣めぐりから佐渡をはじめ海、山、、、両親はすでに他界したものの、今も何かしらのハプニングとともに思い出させてくれます。
99年青森県議になって最初の所属は水産観光商工労働委員会。当時の木村守男知事は「文化観光立県」をかかげ、「おもてなしの心」をうたっていました。今思えば世界遺産白神山地に入山と環境保全との折り合いをどうつけるか。西武グループが企てた岩木山スキーリゾート、国立公園十和田湖の入込客増加と排ガス規制等々、観光と環境問題も絶えず課題でした。今や「持続可能な観光」は世界共通認識であって、国連持続可能な開発目標SDGSにおいても、「観光の雇用創出機能や海洋観光における環境保全」などが掲げられています。
昨年4月に世界旅行ツーリズム協議会(WTTC)がまとめた調査報告によれば、全世界のGDPに対する19年の観光産業の寄与額は8.9兆ドルで全世界のGDPの10.3%を占め、全雇用の約10%に相当する約3億3000万人が従事し、特に新規雇用においては4人に1人を担っているといいます。
だからGOTOトラベルに固執するのか。二言目には「経済も回さなければ」といいますが、大げさではなくトラベル以外に経済を回す施策はない、というどん詰まりに政府は陥りました。「観光の終焉は突然やってきた。コロナ禍による観光客の消滅である。見る人もなく澄んだ運河、おとずれる人もなく静寂に包まれる古都。我々は初めてあるべき姿に戻った世界を目撃することになった。略。私たちが直面したのは『観光の終焉』であり、そして『いまさら観光なしではやっていけない』という社会のもろさである。(中井治郎・観光社会学者)
かたや赤羽国交大臣と言えば、「コロナ後はV字回復」と答弁を繰り返し、インバウンド2020年4000万人は遠のいたものの、2030年の6000万人の目標は捨てていません。
私は、国交委員会で繰り返しGOTOトラベルについて質問をしてきました。しかし冒頭書いたように、子どもの頃から旅に親しんだ私は、観光はその土地の自然や歴史や食、あるいは生活様式を学ぶなど、文化そのものだと思っています。昨年7月に視察した洞爺湖では、2000年有珠山の噴火、2018年胆振東部地震と続き、ようやく盛り返してきたばかりの頃に再びコロナ禍に襲われます。復興のシンボルとして打ち上げるロングラン花火は4月28日から10月31日まで。ギネスにものったそうです。コロナ禍で再開したばかりの湖上を照らす花火をホテルの窓から見とれていました。「本当は来年まで持たないかもしれない」という観光協会会長の声も胸にしまいながら。
国は感染第二波の兆しが見えてきた中で、7月22日の前倒しという形でGOTOトラベルをスタートさせてしまいました。ちなみに第一波のピークは600人台ですが、7月中に1500人を超えています。
正直、こんなにも観光が悪者にされ、憎まれるなんて悔しい。「観光による感染拡大したというエビデンスはない」と大臣は繰り返しますが、無症状で感染するのがコロナの特徴であり、政府は、トラベルで宿泊した施設に陽性者の報告があった数だけをもって、「エビデンスはない」なんて言いきれるか?そもそも、割引うんぬんにかかわらず、国が奨励しているんだから大したことないんだというメッセージにもなっていることを知るべきです。
11月17日の国交委員会で私は、「1月22日にはほぼ中国でしか感染者がいなかった。でも今や260か国に広がっています。人の移動で新型コロナウイルスが国境を越えてきたように、国内でも県境を越えた移動が感染を全国に広げてきたと考えるのは自然」だと指摘しました。今や感染者1億人、死者200万人は目前。鳥インフルエンザなら渡り鳥が運んできますが、コロナは人々の接触によって感染するのであり、まさに「コロナが旅して」世界にあっという間に広げてしまったのです。
感染者数の増大を恐れてか検査そのものを絞り、濃厚接触者でさえ、「マスクをしていたから対象にならない」と言って検査さえしない。医療従事者が感染リスクを恐れながら、休みもなく家族の顔も見れず、旅行はおろか外出さえも制限されているというのに、「税金で旅行を楽しんでいる人が大勢いるとは、正直やってられない!」と叫びたくなるのは当然と思います。あげく感染者が増えて医療機関の忙しさが増しているのだとしたら?医療現場の現状を思えば、今すぐGOTOはストップ!とすべきでした。
元々のGOTOキャンペーンの企画競争募集要綱には、コロナの「再流行などによる緊急事態宣言の再度の発出など新たな事態が生じた場合、事業の実施中においても見直しを図ることがありうる」と3か所もただし書きがありました。逆にGOTOを中止したくないから緊急事態宣言も出さなかった?と勘繰ってしまうほど。ところがその後の仕様書、契約書などには中止の文言はなくなり、実際には「ブレーキもなければ、責任の所在があいまい」ということが明らかになりました。「誰が決めるのか?」と聞いたら内閣府、厚労省、国交省が顔を見合わせてしんとしてしまったことも。地元だ、専門家だ、と行って結局責任の擦り付け合いをして、誰も責任を取らない構図が一番問題でした。
今となってはGOTOの再開はできないでしょう。補正予算も加え1兆円超の予算がまだ使えることになっていますが、その予算を地方自治体に配分して、休業のための補てんや県内旅行への支援にあてたらどうか。事務局はもともと誰もが知っている大手旅行会社の集合体です。本来業務に戻ればよいだけ。
多くの専門家は、コロナは観光に対する国民の意識を一変させてしまったと指摘します。しかしインバウンド頼みで量さえやりきればいい、ということでオーバーツーリズムといった弊害はもう断ち切るべきです。逆に地域再発見というべきマイクロツーリズムが注目されています。過剰生産、過剰消費による成長戦略路線は、もうとっくに否定されています。政府が国民に対してこれまでの誤りを詫び、今少しの我慢をしてほしい、そのための補償はしっかりやるからと約束するべきです。医療従事者の人にこそ、コロナが落ち着いたね、と安心して旅に出て、ほっとしてもらいたい。悪いのは旅ではないのだから。
※日本共産党文学後援会の会報にむけて書き下ろしたものですが、依頼された字数をはるかに超えてしまったため、会報への原稿とは別に、ここに原文を掲載します。