11月初めに、岩手県の沿岸部を歩きました。3日は宮古市と山田町、4日は釜石市長、住田町副町長、陸前高田市長、大船渡市長と、駆け足で懇談しました。
山田町の復興公営住宅では、木村洋子町議と医療費免除の継続などで被災者と懇談しました。「病院は複数かけ持ちなの?」と聞くと、口をそろえて「もう足も目も腰も!」と。ある女性は、「髪の毛が全部抜けちゃったの。カツラなのよ」と打ち明けました。一人暮らしでこの先どうなるのか、あれこれ心配だったといいます。
釜石市の野田武則市長の要望書では、津波被災地を買い取り防災集団移転を進めてきたが、企業立地が進まず、未利用地が虫食いのように残されていることや、内閣府発表の日本海溝・千島海溝の巨大地震モデル発表により、東日本大震災をはるかにしのぐ浸水想定域が示され、「どこにも逃げ場がない。どうすればよいのか」と言われ、驚きました。
陸前高田市の戸羽太市長は、東電福島第1原発の汚染水放出について怒りをあらわにしました。やっと再建してきた漁師にとって痛手なのは福島と同じ、海はつながっていると。
そこへ11日には女川原発再稼働を村井宮城県知事が「同意」するとのニュース。ちょうど9年8カ月、被災地は新たな多くの課題に直面しています。菅首相は「まず自助」というのでしょうか。東北の議席の意味をかみしめています。
※しんぶん赤旗2020年11月14日付「北海道・東北のページ」掲載のコラムです。