2005年12月25日、JR羽越本線特急いなほの脱線事故で乗客5名が死亡、31名が重軽傷を負いました。今月20日山形県庄内町で演説会があり、事故現場にかけつけた日下部町議(当時)や加藤鉱一鶴岡市議、現場に同行してくれた加藤太一鶴岡市議(当時)とともに、慰霊碑に立ち寄りました。昨年13回忌を迎え、12月に被害者全員と示談が成立したそうです。
5名の犠牲者とは――出張で奈良を目指していたTDK社員。厚労省から秋田県職員に出向していた男性は新潟へ出張途中でした。山形地検に就職した28歳の女性など。たまたま乗り合せて、人生を奪われた犠牲者たち。胸がしめつけられました。
あの日、小高い丘になっている線路の上を歩き、年中風が強い場所とは聞いていましたが命の危険を感じるほどでした。国鉄出身の党員たちが、風速計の設置場所とか、停止、徐行するべき基準など、説明をしてくれました。年が明けて2006年1月、地元議員団とともにJR東日本本社に乗り込み、再発防止策と補償を求めました。そのとき、列車が脱線、転覆して吹き飛ばされた豚舎について、移転補償を求めました。「人命優先だから…」と遠慮していた日下部町議を励まし、前向きな答弁をもらいました!
JRがその豚舎を買い取り、そこに建立したのが慰霊碑と弔問者のための休憩室だったのです!本当にびっくり。一同、当時の記憶がよみがえるとともに、地元議員との連携の大切さを実感しました。