「復興工事はあと2,3年で終わる。それまでには何とか再稼動してもらわないと‥」
昨年12月26日付の河北新報で女川町の原発関連業者の声を読み切なくなりました。「原発ではない道」ー初めてのテーマに挑戦すると決めたのです。
9日の復興特別委員会。被災原発を審査する基準は? 田中規制委員長「ありません」 宮城県からの要望は? 田中委員長「聞いていません」
ええ、県議会でも国に申し入れたと県が答弁している、前日の審査会合でも「被災してさらに災害などに耐えられるか」という議論があったが、と迫ると、「私もその通りだと思います」と明確な答弁が返ってきました。
被災直後に見た女川の光景。あと80センチで福島と同じだったこと。一からやり直すと語った安住宜孝前町長。
当時の思いも織り込み、須田義明町長は「今の3機はいつか止まる。原発に依存し続けるのではなく、自分たちで地域の仕事と価値を生み出していかなければならない」とコメントしていることを紹介し、いつかは止まる、なら今でもよいのではと迫りました。
いま、廃炉になった自治体の新たな補助金もできています。自治体が原発マネーに頼らず、廃炉を決断できる新たなスキーム(枠組み)をつくれ!女川モデルをつくろう。経産省も復興大臣も基本は賛成。応援していきますと答えました。
※「しんぶん赤旗」3月12日付「北海道・東北のページ」に掲載されたコラムです。