16日、全町民避難の浪江町に入り、馬場いさお町議の案内で高線量の津島区や津波被害の請戸地区などを回りました。畠山和也議員、岩渕友さんと。信号機が点滅する商店街。3月12日付新聞が山積みのままの販売店など、時が止まったままです。
役場庁舎で、集団移転・住宅建設、除染や廃棄物処理などについて説明をうけ、懇談。再生計画には「データではわからない心の被災」「失ったのは当たり前の生活」とあります。犠牲者182名、震災関連死337名。「戻らない」48,4%―月日を重ねるごとにその数字は高くなるのです。
翌日は県議も参加して福島市と桑折町で浪江からの避難者と懇談。「一時帰宅した時誰もいないから突進してくる車にぶつかりそうで怖い。ちゃんと信号機を動かして」「一人きりで草刈りもできない」など具体的な要望は、前日役場と話しあったこととかみ合いました。
「仮設で暮らしてみろ。何年も!4畳半一間だ」と吐き捨てるように言った女性。津波で全て流されたのに、「家がない」から賠償にも差をつけられる。原発は5~6キロ先に見えるのに。公営住宅に希望出してもまだ、受付けすらしてもらえない、と。
最後は、笑顔で記念写真も。「頼みます、うちは家族3箇所なの」と涙ぐむ女性。厳しいけれど心開いて話し合えたことが、道を開くと信じて頑張ります。
※しんぶん赤旗1月24日付「北海道・東北のページ」に掲載されたコラムです。