10年前、青森県深浦町の測候所を訪ねました。職員は地域の行事にも参加し住民と信頼関係があり、漁協は海に出るとき測候所を頼りにしていると聞きました。
小泉行革で測候所全廃が決定されたとき、全国から存続求める要望書が出されました。山形県酒田市からは、「日本海に面し鳥海山の近くに位置し、年間を通じて風が強く」と…。羽越線脱線事故の調査で身をもって体験した私は、質問でこれを声を大に読みました。
06年岩手県大船渡の測候所に行ったときは、すでに黒板に撤収スケジュールが!
1960年5月23日未明チリ地震が発生した際、大船渡市で53名もの犠牲者が出ました。私は質問で「太平洋のかなたからこれほど大きな津波が日本に押し寄せるとは思い及ばなかった」という当時の気象庁長官のコメントを読み上げ、「この経験から測候所は創設された。廃止より地域観測体制の強化を」と迫りました。ところが大臣は測候所がなくても「科学技術の進歩で防災能力を高める」と言うのです。
今年の臨時国会最初の質問で、火山観測体制に関連し改めて測候所問題を指摘しました。文科省が研究体制拡充を認める一方、気象庁長官は8年前とほぼ同じ答弁でした。
※しんぶん赤旗10月18日付「北海道・東北のページ」に掲載されたコラムです。