ちづ子へのエール住民とともに(質問のエピソードと会議録など)
ちづ子通信

3月11日。東日本大震災と原発事故から15年②

原発事故を巡っては、正解がわからず誰もが苦しんでいたと思います。政府の混迷ぶりはもとより、、

 都内や埼玉の避難所で、志位さんと一緒に楢葉町や双葉町などから避難してきた人たちに会いました。双葉町の井戸川町長(当時)は、「原発を推進してきたのが間違いだった」と涙を見せました。

 年金裁定の申込をポストに入れた後に津波にあい、どうなっただろうか、と心配している男性がいました。(年金機構に問い合わせました)

親戚がどうなったかわからない、毎日、新聞の死亡広告を見ていると言った人。。

 福島市内の体育館では「ガソリンを今すぐここにもってきてくれ!」と叫んだ男性もいました。複数の車に残っているガソリンをひとつにまとめ、行けるところまで、親戚を転々とし、ガソリンが尽きたからいまここにいる。

 中学校の卒業式を迎えられず、遠くへ避難したママ友に電話をし、必ず卒業式やろうね、と約束していた、女性。

 秋田、山形、青森、県外に避難した福島の方たちにも会いました。すごく怪訝そうな顔をされたので、どこから来たかをたずね、そのまちの議員さんの名前を出すと、「あ、渡辺さんのところか」と安心し、初めて名刺をくれた方もいました。

 「避難解除になって真っ先に戻ったけれど、ふりかえったら誰もいない。」「私は帰ってもいいけれど、ご近所が戻らなければ帰れない。」「爆発したのは原発だけじゃない、家族もだ」などなど、区長さん、集会所で、役場で、色んな声を聞いてきました。

 富岡町の役場では地震対応を書き殴っていたホワイトボード、炭化したおにぎりなどがそのまま、まさか原発とは思わなかった。「ほら、これが何の役にもたたなかった原子力編だ」と課長が指さしたのは、地域防災計画原子力編という分厚いファイル。その後、猪など動物に荒らされ放題の自宅も見せていただきました、人が住まないとはこういうことなのです、、。

 「自主避難と呼ぶな、政府だって情報錯綜していたじゃないか!」と追及し、自主避難者にも賠償がわずかだが出されました。

 「廃炉作業で働く労働者を守れ。」原発労働者の労災認定の最低ラインは5.2msvと答えさせました。

 第二原発は廃炉に。東電柏崎刈羽の再稼働は反対。

 ALPS処理水問題で、漁協や観光業者の声を聞き、宮城、岩手、青森の下北まで北上して声を聞きました。

 廃炉は2051年目標というけれど、880tのデブリの取り出しが間に合う見通しはないし、取り出したあとの置き場ふくめ、廃炉の姿はまだ描けていない、、、

2021年浪江町津島 党国会議員団福島チーム

2024年いわき市内災害公営住宅 党国会議員団福島チーム

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