TVのニュースや特集番組でも、衆院の予算委員会でも「東日本大震災と原発事故から15年」という言葉が出されています。被災地をめぐる特集番組は、今も家族を探している人、ようやく当時のことを語ろうとしている人、語り部となって引きつごうとする人、商売を再建して地域で暮らし続ける人、変わり果てた故郷に戻れない思いを語る人、、、それぞれが辿ってきた道、生き方に胸を締め付けられる思いです。
当時はまだTwitterやFacebookなどをやっていなかったので、毎日毎日の出来事を記したのは公式HPです。それが今は開けないのが辛い。走り書きを綴った小さいノートと、寄稿した雑誌だけは保存しています。
いわき市の避難所である男性から、あまりに悲惨な実態を聞いた時、この話をネタのように軽々に語ってはいけない、と考え、どこでも語らなかった話があります。ひととしての「尊厳」をかなぐり捨てるということでしょうか。「わかるか?」と、悔しそうに静かな怒りをぶつけられ、返す言葉がありませんでした。
被災者の笑顔とはーー
宮城県のある避難所で、同行していた地元町議に駆け寄ってきた男性がいました。その人は笑顔で、「我が家の車をみつけたんだ。でも空っぽで、母ちゃん(妻)は見つからなかったよ」と。。過酷すぎて涙も出ない、涙も枯れるくらい出してしまった、、そういう被災者たちがたくさんいたのです。
3.11の少し前に懇談したある組合長が亡くなりました。車で避難するとき渋滞に巻き込まれ、「このままでは津波がきてしまうから車を置いて逃げよう!」言ったけれど、いや、いいと言ってどんなに言っても車から降りなかったそうです。ついこの前会ってお話ししたばかり、その時妻さんを病気でなくしたばかりで、自分も妻さんのところに行こう、と思ったのかもしれません。
★せっかくたすかった命を失うことがないように。と訴え続け、
★被災者は何を言っても許されるけれど、私たちが、「わかったふり」や「決めつけ」「上から目線」にならないよう、ずっと心に言い聞かせてきました。
医療や介護、保育所、学校
インフラや地域交通、中小企業支援、農業漁業、
仮設住宅から公営住宅、集団移転、様々な角度からとりあげてきました。原発事故については、次回。
★他県から「移住」を勧める声が届いた。このままでは本当にまちがなくなってしまう!と訴えた市長。避難者のために公営住宅を建てたら批判された、けれど他にどうすれば良かったと思う?と話した内陸部の市長もいました。
議員のなかには、「この際被災地は合併するべきでは?」と話した議員もいて、それこそ簡単にいうな!と思いました。
★15年を区切りにもさせず、単なるイベントで終わらせないよう、こだわり続けていきたい。





















