「なんでも反対の共産党」は最近あまり聞かなくなりましたが、逆に「なぜあの時反対しなかったのか」と言われるのは、つらい。1948年成立の優生保護法。第1条「この法律は、優生上の見地から不良の子孫の出生を防止する」とし、強制不妊手術を合法とした同法が全会一致の議員立法だったこと、戦後生まれで、つい最近まであったことを知った時は、衝撃でした。
それ以来、超党派の議連の法案プロジェクトチームに参加。諸外国の例や法制定時の背景、原告や弁護団、障害者団体、学者や運動団体からのヒアリングを重ねました。
前文に謝罪を入れ、被害者が高齢であることを重視し、今国会成立を目指しています。時間稼ぎや被害者が選別されないよう、審査の基準も被害者に寄り添って。一律の「一時金」とすることで迅速化をはかり、「賠償」を争う裁判をしばらないこと。そして「今後も理解を得られるよう政府とともに努力を続け」ることや、施行状況をみて改正もしていくと明記。
「検証責任は国会」という、重い決断も。尾辻秀久会長が会見で「当時全会一致の議員立法だった、という事実を受け止め」と発言した時は、こみあげるものがありました。
原告団や障害者団体からの厳しい意見は甘受せざるを得ません。私たちは歴史を塗り替えることはできないけれど、過去と向き合い、未来を変えたいのです。
※しんぶん赤旗2019年3月23日付「北海道・東北のページ」掲載のコラムです。