7、8の両日、党国会議員団福島チーム調査で、避難指示が解除された葛尾村、川内村、浪江町で、首長や住民と懇談しました。岩渕友、塩川鉄也、藤野保史、山添拓の衆参議員、神山悦子県議団長、ふなやま由美東北比例候補、熊谷智福島五区候補、ボランティア支援センターの大橋さん、渡部さんも一緒です。
以前、郡山市内の仮設住宅に何度かおじゃました時、川内村は避難指示を解除したものの、医療機関もなく、帰れないと訴えていました。ところが今年3月末をもって仮設を閉鎖するとし、重病など特別な事情のある人を除き、追われるように退去した皆さんの事がずっと気になっていました。
今回、遠藤雄幸川内村村長とも懇談。8割が帰還したこと、一人暮らしの高齢者などのため村営住宅を整備したこと、通院と買い物の足にもなる無料コミュニティバス、保育料無料や学校給食無料など子育て支援のとりくみを伺いました。特に教育、医療は村の存亡をかけた課題。しかし今の支援策も復興期間が終わればどうなるのか、という危惧もだされました。
夜の住民との懇談では、「郡山市に車で1時間半通院していて大変。冬が心配」「若い人が帰ってこられない」などと口々に訴えました。原発事故前は山でキノコをとり畑で野菜つくって暮らせていたのに。「20キロ30キロで線引きされたのが悪い。住民同士で今もしこりになっている」との声も。
4月になれば電気水道なども止まる、と聞かされやむなく退去した人たち。引っ越し代はわずか3万円、夫婦5万円。業者に頼むことも出来ず、なんども往復して自分たちで運んだこと。「冷蔵庫が一番重かったよぉ」とSさん。そのわずかな補助すら、4月の電気代請求書をつけて請求しなければならず、申請したが、いまだに払われていないと!
3年前の6月。Sさん夫婦のお宅で集いを開いてもらったことがありました。党議員もいない支部もない村で、参加してくれた女性は、「共産党は身近にいなかったが、今日はいい話聞いた。今度質問とか、気をつけて見るね」と話してくれ、その年の総選挙では、同村での得票も伸びました。今日久々に会ったSさんは、「こんな山の中まで来てくれてありがとう」と泣きながら喜んでくれました。「あの時、俺にだけ名刺くれなかったよ」と言われ、ごめんなさい!と謹んで渡しました。国会も頑張ります、またね!と言って皆さんとお別れしました。
※しんぶん赤旗2017年9月10付「北海道・東北のページ」に掲載されたコラムの原稿に本人が加筆したものです。