「係争中だから」答えられない、とは厚労大臣がよくやる答弁。しかし今年2月26日予算委員会分科会、新藤義孝総務大臣が「国民の代表である議員が国会でこのように発言いただいたことはとても重い」と答えた時、手ごたえがありました。
仙台市の職員だった大友純平さん(当時38歳)が3・11当日津波警報が出た後に、上司の指示で市の広報車にのって荒浜に向かい、犠牲になりました。遺族は、特殊公務災害を申請、地方公務員災害補償基金仙台支部は却下しました。
特殊公務災害とは、命の危険が予測される職務に従事するという、消防職員、警察署員などと、災害時の応急従事職員への加算制度。支部は危険が予期できたとはいえないとしましたが、10メートルの津波警報が出る中、大友さんは広報に向かったのです。
ご両親に聞くと、震災2日前のチリ津波が来た日、大きな災害が来たら、自分は家族のことをふりかえることはできない。もしもの時は覚悟してほしい、と語ったそうです。私は、「危険を顧みず職責を果たしたことを認めてほしい」と訴えました。そしてこの答弁が!5月に基金本部から「これまで却下された件についても再び基金支部に申請しなおすことができる」という通達が出ました。6月12日、基金本部初の逆転認定を勝ち取ったのです!
主文は、避難広報を命じられ従事した時から津波により死亡するまでの間、「特殊公務に従事する職員であった」と明記し、終わりに「支部長の処分、支部審査会の採決は失当であって、取り消されるべきものである」と断じたのです!ご両親や土井浩之弁護士はじめ支援者の奮闘に心から敬意を表します。
新藤総務大臣にお礼の電話をしました。大臣は、「役所のやり方は前例にしたがい、機械的なものでした。でも今度はこれが前例になります。」と。そう、たたかいが新しい前例をつくったのです。
※しんぶん赤旗6月19日付「北海道・東北のページ」に掲載されたコラムです。