3月3日、岩手県大船渡市で開かれた「東日本大震災津波2年のつどい」に参加しました。早朝、盛岡市から大型バスに乗り込み、参加者とともに午前中は陸前高田市の被災地を回りました。
午後の集会では、ろくろ石地域公民館長という村上誠需さんの発言が心に残りました。「最近やっとほっとしている。子どもが帰ってくるかどうかわからないのに、家を再建するかどうか迷っている」。たとえ仕事や貯金が少しあってもローンを払えるか。現金は手元に残しておきたい。「せかさないで!」という住民の声を紹介。地域の連絡協議会を作りたい。災害公営住宅を「被災者が主役」でつくれないか、と村上さん。なぜ一人なら1DK、二人なら2DKなの?四畳半の茶の間と寝床が一緒の人はいますか?「狭くても人間らしい」くらし、「せめて茶の間のある生活を!」との訴えに、頭がガン!と殴られた気がしました。
3月3日、今日は1933年、死者・行方不明者3064名にもなった昭和の三陸大津波から80周年の日でした。