ちづ子へのエール住民とともに(質問のエピソードと会議録など)
ちづ子通信

小浜秀雄さんのお別れ会

今日は、元日本共産党青森県委員長だった小浜秀雄さんのお別れ会。

 小浜さんは18歳で入党し、林野労働者として組合結成などで奮闘し、その後74年間地区委員長、書記長、県委員長を歴任。勇退後には生活と健康を守る会の会長をつとめました。

 献花のあと、ご家族と一緒に内輪の食事会をしました。畑中孝之県委員長の弔辞は、本当に同志たちを思い、優しく、常に学び確信をもち、ぶれることなく私たちを導いてくれた小浜さんの生き方を語って、涙をこらえることができませんでした。生健会の神江美さんは、生健会に飛び込んで、一会員として社会保障の理論を根本から学び、やがて介護保険制度の矛盾をみつけ政府を動かす力になったなど、小浜さんのすごさを改めて知るお話でした。

 私も一言、スピーチをさせていただきました。私を衆議院議員にする、と言ってくださったのは小浜さんです。あの、小浜さんの説得がなければ学校を辞めてまで党専従になろうと思いませんでした。私は91年参院補欠選挙以来候補者として、国政選挙に6回でました。(その後県議一期、衆議院議員7期)

 でも全県一人だけの参院選挙区とかなので、自分は党勢拡大に貢献しているという気持ちで、自分自身が国会議員になるというイメージはありませんでした。初めて国会に行くんだ、と思えたのは98年の躍進の参院選でした。選挙を前にした党大会で、全国どこでも議席をめざす、という不破さんの報告を聞き、「発言しよう」と思いました。小浜さんと一緒に発言原稿を練り上げ、「本州最北端から国会へ!」と元気に発言したことも。あの時の大会は、今回比例候補ベスト5の1人である白川ようこさんが香川から参院選に初挑戦する!と発言したことに触発されました。

 2003年初当選を果たしたとき小浜さんが、「ほら、俺の言ったとおりになったろう?」と嬉しそうに話してくれたこと、忘れません。昨年の選挙のときはすでに入院されていたそうです。ちづ子さんに会いたがっていた、とお連れ合いに聞いて、また泣いてしまいました。

 必ず議席を取り戻して、報告します。小浜秀雄さん、本当にありがとうございました。

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