国会質問

質問日:2020年 2月 14日 第201国会 予算委員会

災害復興理念ただす

衆院予算委地方公聴会/ 福島・郡山/高橋議員が質問

 2020年度予算案を審議している衆院予算委員会は14日、福島県郡山市と熊本市で地方公聴会を開きました。日本共産党の高橋千鶴子議員が郡山市で、田村貴昭議員が熊本市で質問に立ちました。

 福島県郡山市では、県商工会議所連合会の渡邊博美会長が意見陳述し、昨年の台風19号によって2542の事業所が被災していると報告。「地域雇用の確保と被災企業への支援、そして防災・減災にむけた河川強靱(きょうじん)化に取り組んでいただきたい」と求めました。

 福島大学の鈴木浩名誉教授は、福島第1原発事故の収束が厳しい見通しにあること、地域コミュニティー喪失への補償がないことなどを強調。「復興がハード事業に偏っている。被災者の生活やコミュニティーの質を指標にした復興が必要だ」と語りました。

 質疑で日本共産党の高橋千鶴子衆院議員は、県の復興ビジョン検討委員会座長だった鈴木氏に、復興ビジョンのめざしていた理念と現状の乖離(かいり)について考えを聞きました。鈴木氏は「原子力に依存しない持続可能な地域社会が私たちの基本理念だった。しかし実際にはイノベーション・コースト構想など地域社会との連動が見えづらいものになっている」と答えました。

 無所属(立憲民主・国民・社保・無所属フォーラム)の玄葉光一郎衆院議員の質疑では、意見陳述人より軽減税率について「中小企業はなかなか対応できず、廃業も出ている」などの発言がありました。

 ほかに、Bridge for Fukushimaの伴場賢一代表理事、品川萬里郡山市長が意見陳述しました。

(「しんぶん赤旗」2020年2月15日付より)

ー議事録ー

○高橋(千)委員 日本共産党の高橋千鶴子です。
 きょうは、四人の陳述人の皆さん、大変貴重な御意見をいただきました。ありがとうございました。なるべく全員に質問をしたいなと思っておりますが、頑張りたいと思います。
 それで、渡邊陳述人に最初に伺いたいと思うんですが、先ほど来、グループ補助金の問題が議論をされておりまして、品川市長からも、大企業やみなし大企業に対しても支援できるようにというふうな議論があったと思います。
 そこで、私が伺いたいのは、今の伊藤さんにも関係していると思うんですけれども、五億円の定額補助の問題で、さっきお話しされたのは、福島はそこまで至らなかったというお話だったんですけれども、実際に二割の減少が条件であるということにおいては、例えば本宮の市長の言葉をかりると、そこまで減少していたらもう潰れているよなんということをおっしゃっていたんですね。だから、条件が厳し過ぎるじゃないかということを訴えてきたんですけれども、経産省は、やはり要綱などの見直しは、法律を変えるとかではなく、現場の声で少しずつ見直しをしてきましたと言っていたので、できることは見直しできないのかな、もっとやっていきたいなと思っているんですけれども、そこら辺について、御意見がありましたらお願いします。

○渡邊博美君 ありがとうございます。
 今お話がありましたように、福島県というのは、やはりある意味では特別といいますか、東日本大震災のまだ復興途上ということもあって、こういう災害がダブルで来たときに、こういう使えるといいますか、そういうサポート体制ができてきているんですけれども、実際は、それがあるのとないのとでは、実際それを使うか使わないかは別として、事業活動としては非常にやはり大事な要素だというふうに思っております。
 幸いなことに、福島の場合は、それを検討してもそこまでの被害がなかったということはよかったんですが、これが今後もそうなるとは限らないし、あとは、福島だけで捉えるというよりも、既に経済というのはまさに県内だけじゃなくて県外も含めて全部つながっておりますので、我々は宮城県の方でも仕事をやっておりますし、丸森町での水害なんというのは本当に大変な悲惨な形でありましたし、そのようなことを考えたときに、現場の実情を見ていただいて、やはり、五億円とか、あるいは今回のグループ補助金のそういう制度のものは、ぜひ、前例がないとか、まだ時期尚早だとか言わないで、積極的に本当にどんどんやっていただければ、我々民間の事業者としては非常にエネルギーが出るということだと思っております。

○高橋(千)委員 ありがとうございます。
 今おっしゃっていただいたように、例えば、今回も宮城と福島だけが定額補助だったんですけれども、何でそこだけなのということも随分議論したんですよね。
 やはり震災の直後に、取引しているのは山形もそうだよねとか、太平洋側と日本海側、取引しているよねとか、そういう議論をしてさまざま支援をつくってきたということもあったので、まだまだ見直しできること、また、もっとほかの地域も全体として引き上げていく必要があるということでは、声を上げていきたいなと思っております。ありがとうございました。
 次に、鈴木陳述人に伺いたいと思うんですけれども、原発事故からの復興について、私たち国会議員団も福島チームというのがありまして、毎年必ず被災地、特に避難が解除された区域や、首長さんそれから被災者との懇談にも取り組んでまいりました。
 その中で、先生がお話しされたように、帰りたいんだけれども帰れないという気持ちはとてもよくわかるし、逆に、周りの人がもう帰れるわけないんだみたいに言っているときに、本当は帰りたいし自分は帰るうちもあるんだけれども、隣近所誰も一緒に帰ってくれなければ一人じゃ帰れないと勇気を持って言ってくれた女性がいまして、それもなかなかつらいものだなと思って聞いたことがあるんです。
 自己決定をやはり保障するためには、それに見合う時間や選べる選択肢、まさに先生がおっしゃった複線のシナリオが必要だと思うんですけれども、そのことと、やはりそれほどまでにあの原発事故というものが自然災害とは違う意味があるんだなと思っているんですけれども、その点、ぜひ。

○鈴木浩君 これだけ広範囲で長期間の避難生活になると、物すごく重要になってくるのは、避難元の住民が避難先で一定程度コミュニティーを形成できる、人のつながりが避難先でも維持できる、完全ではありませんけれども。と同時に、避難先のコミュニティーとどういうふうにつながり合えるか。そういうお互いの助け合いだとか、そういうことをNPOなんかも一生懸命心がけているので、今おっしゃったような、できるだけ孤立をしないようなシステムを、避難元の人たちの結びつきを考える、避難先でのコミュニティーとの共生を仕組みとして考えるということがあちこちで実例としてありますので、こういう先駆的な事例を束ねていくと、今のような問題に対して共生社会というのはできるなというのは、私、十分対応できていないけれども、事例はたくさん生まれています。
 そういう努力をしていく必要があるし、もう一つは、そういう活動をNPOであれ避難先の自治体であれ、そういう支援をするための仕組みというのを、例えば子ども・被災者支援法を敷衍しながらやっていくという点検をしていく必要があるなと思っています。

○高橋(千)委員 ありがとうございます。
 コミュニティーの問題でお話をされたということと、NPOなどのいろいろな取組がありますよということだったので、少し、ちょっとそれに関連をして、伴場陳述人と品川陳述人にも伺いたいなと思うんです。
 一つは、伴場陳述人は、ボランティアのいろいろな取組を御自身がされてきて、紹介をされてきたんだと思うんですが、本当に、今回、福島の地域ではいろいろな形のボランティアの方に、私自身も会ったし、こんな活動をしている人もいるんだというのでとても驚いたこともあったし、学ばされたこともありました。
 そこと行政とのかかわりというんでしょうか、つまり、ボランティアがいるからいいんだよということになってもだめだし、けれども、それを指揮するみたいになってもだめだと思って、やはり、肝心のところはしっかり行政がグリップしているんだけれども、ボランティアの皆さんが活動しやすい環境というんでしょうか、そういうことも必要かなと思うんですけれども、御意見があったら伺いたいと思います。
 それから、品川陳述人には、中通りというか、郡山のすごい特徴として、県外に避難をした方がたくさんいらっしゃいました。やはり若いお母さんたちが子供さんを連れて、私も、東北だけでなく九州とかいろいろなところで郡山出身の方にお会いしました。同時に、郡山に避難をしている双葉郡の方たちがたくさんいらっしゃった。そういう二つの、支えながら、また支援をしていくという難しい役割が行政としてはあったと思うんですが、率直な思いと課題というんでしょうか、お聞かせいただければと思います。続けてお願いします。

○伴場賢一君 ありがとうございます。
 ボランティアに関する御質問だったかと思います。
 ボランティアに関しての考え方、これだけでもちょっとやはり意見がかなり違うところだという前提の中なんですけれども、そもそも私個人の考え方でいうと、ボランティアという言葉は、日本人にとってはやはりすごく難しい言葉なんだと思います。
 日本の場合でいうと、ボランティアというよりも、隣の人が困っているから助ける、これはやはりそもそも持っていた当たり前の考え方なんだと思うんですね。ただ、ボランティアというのは、少しちょっと偉い、ちょっと心がくすぐったいようなところで見られてしまうというところに、少し何か日本語にしにくいところがあるのかなというふうに思うところがまずあるというのが一つあります。
 ただ、今回のような被災におけるボランティアという形になると、私の考えからいうと、いわゆるPPP的なやり方が一番いいのではないかというふうに考えます。やはり、今回の震災でもそうですし、東日本大震災でもそうなんですけれども、行政ができる余裕はまずないと思います。ただ、責任は行政が負うべきだと思います。
 そこの曖昧なところを今後できるだけクリアにするということはしなくてはいけないんだと思っているところでいうと、ふだんからの関係性でそのようなNPOを育てるのか。今の関係性でいうと、当然、社協さんと行政との中での運営ということになりますが、やはりこれだけでは当然進んでいかない形だと思います。
 今回の私どもの経験からいうと、そこの中に、例えば各地域の商工会議所の青年部さんであったりとか、郡山の中でも多分NPOがかなり運営に入っていたであるとか、鈴木先生がもともとおられた福島大学のボランティアの学生さんたちが運営にかなり入っていただいていたというような事例があります。こういったフレームワークを、各地域のリソースを合わせながら、有事のときのための備えをするということの準備の必要性ということを強く感じるところでありました。

○品川萬里君 まず、郡山から避難されている方でございますが、私も市長になりたてのころ、新潟県の方にお伺いしました。新潟市長にお会いしてお礼を申し上げました。新潟市の場合は特段トラブルはなかったんですが、ほかの地域では時々新聞に出ました。
 これが自分の市であってはいけないと思いまして、学校それから地域の方に、いわゆる文化摩擦も含めて、ないかということを聞きました。少なくとも学校で双葉郡や相馬の方から避難してきた方の子弟が嫌がらせに遭ったとか、そういうことは少なくとも私自身には、あったかもしれませんけれども、耳にするようなことはありませんでしたので、ほっとしております。
 これは既に、私が申し上げた今の三・一一のときにたくさんの方がおいでになったときに、そこで郡山市民の皆さんが受け入れるマインド、それから、どういうふうに受け入れたらいいかということを体験しておられて、それが今回、やはり避難してこられた方がおられましたけれども、一つの受け入れるシステムといいましょうか、心組みというのはできているのかなと感じております。
 あと、ボランティア活動ですが、実は今回の水害で浸水被害に遭った学校があるんですね。これはきょうちょっと見ていただいた中央工業団地のもっと南の方になりますが、帝京安積高校とそれから東北高校というのがあるんですが、ここも被災したんですけれども、高校生みずからがボランティア活動をやってくれていたんですね。
 ボランティア活動も、何か特別なことをしているというんじゃなくて、ごく自然にやっていただいているんですが、では、我々としては、それは当然でしょうということじゃなくて、何とか、隠れた善行じゃありませんけれども、黙ってボランティア活動をしている方がいたんだということをやはり顕在化といいましょうか、何らかの形で市民の皆さんに伝える必要があるなということを感じておりまして、いや、やめてくれと言われない限り、窓口は社会福祉協議会になっていますので、社会福祉協議会の方と相談しまして、やはり今回、間もなく半年たちますので、ボランティア活動してくださった方の、何とか市民の皆さんにこういう方々がボランティア活動してくれましたというところをお知らせすることは我々の責務の一つかなと思っております。

○高橋(千)委員 ありがとうございました。
 もう一度、鈴木陳述人に伺いたいと思うんですが、先ほどお話しされたように、先生は福島県の復興ビジョン検討会の座長として復興ビジョンの作成にかかわったと思いますけれども、そこで目指したものと、今、九年丸々たって、現在、大きく乖離があるという課題がありましたら、教えてください。

○鈴木浩君 先ほどもお話ししましたけれども、福島県の復興ビジョンをまとめるときの一番最初の基本理念は何かというと、原子力に依存しない持続可能な地域社会を目指す、これが基本理念の第一であります。
 もちろん福島県は、それまでの間にさまざまな、第一原発、第二原発で事故があったりしましたので、その間のいきさつを、実は福島県としては、もう皆さん御存じかもしれませんけれども、こういう県の「あなたはどう考えますか? 日本のエネルギー政策」というのを、災害のある十年前に中間取りまとめを出しているんです。
 このときの論点として整理しているのはどういうことかというと、原発に依存しない、モノカルチャー的な文化ではない地域経済や地域社会をどうつくりましょうかという問題が、提起がもう既に十年前に出されている。こういうものに基づいて、先ほどのような理念が打ち出されたわけですね。
 でも、実際に動き始めると、例えば、十二市町村のビジョン検討委員会の中に、学識経験者、そういう有識者の人たちのグループができるんですけれども、そのグループの提案がイノベーション・コースト構想になる。それはそれで大きな課題かもしれないけれども、持続可能な地域社会とそれがどう連動するかということが見えなくなってしまったんです。もともとの農業だとか地元の中小零細企業の企業活動が再開するというのはなかなか困難をきわめているために、被災地の中では彼らの営業活動が再開できないでいる。ここのところが大きく乖離してしまった。
 同じように、自治体の町外コミュニティーというのをたくさん考えましたけれども、浪江町でも双葉町でも町外拠点、町外コミュニティーをつくりました。浪江町が町外拠点を、コミュニティーをつくろうとした瞬間に、避難指示が解除されて、浪江町はふるさとの復興一本やりになったために、二本松の町外コミュニティーの整備をすることが途中で中断してしまうんです。その被災者の人たちはそれに困惑したというようなことがあって、ここをどうやって理念と具体的な事業を連携できなかったのか、僕自身の力不足もあったんですけれども、物すごくそれを感じていました。
 以上です。

○高橋(千)委員 ありがとうございました。
 大変いろいろなことを考えてしまって、どの質問をしようか、いっぱい聞きたいことがあるなと思っていたんですけれども。
 やはり、私がさっき最初の質問のときに言った自己決定というのがなかなか難しい状況があるのと、今先生が指摘をしたハードと予算という関係で、見える形では進めていこうとするんだけれども、なかなか人々の気持ちがついてこないというのが一つあるんじゃないのかなというふうに思っております。
 もう時間でしょうか。

○棚橋座長 あと一分ほどで。

○高橋(千)委員 できれば渡邊陳述人に一言だけ。
 さっきちらっと出たんですが、イノベーション・コースト構想を、地域の業者の方も関連産業としてということはあるとは思うんですけれども、やはりどうしても地に足がついたものにはなっていないんじゃないかなということは正直私も思うんですけれども、いかがでしょうか。

○棚橋座長 渡邊博美意見陳述人。
 なお、大変恐縮ですが、簡潔にお願いいたします。

○渡邊博美君 はい。
 それはおっしゃるとおり、ハード面とかシステムとかいろいろな法律はだんだん整ってきたし、特にインフラは、物すごくスピードを上げて、福島県だけではなくて、完成しつつあります。
 ただ、先ほど皆さんからもお話ありましたように、心の部分といいますか、それは例えば、被災に遭った人あるいはなかった人も、仕事の関係や何かでも、例えば会社でいえば、そういう地区の人も、同じ家族のように思っている人たちが全部つながっておりますので、そういう意味でいうと、常に、なかなか、納得感のある、充実感のあるというのではなくて、まだまだ、今言いましたように、原発が四十年ぐらいかかる、そこまでの間にどうやって大切なふるさとを守るための次の世代の人をつくるかというのは、これは、事業者であっても、我々も、同じであります。
 被災者が一言我々に言った言葉で今でも印象に残りますのは、やはり浪江から避難している福島にいた人が、仮設住宅から立派なマンションのような公営住宅に移動するときに、うれしくて悲しいと言ったんですね。これが本当に今でもぐっと刺さっておりまして、居住環境が変わった、それは物すごくうれしいんだけれども、もう年齢が高いので、そこに住むようになると、ふるさとには帰れない、そしてコミュニティーのつながりはもうなくしてしまう、それが悲しいというのが、実際の、私は、福島県のそれぞれの人の本音だと思います。

○高橋(千)委員 ありがとうございました。

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