衆院青少年問題に関する特別委員会は十六日、全国で相次いでいるいじめ自殺問題で参考人質疑を行いました。
横浜市立末吉小学校の森徹校長、東京大学の本田由紀助教授、NPOチャイルドライン支援センターの清川輝基代表理事、こども相談室「モモの部屋」の内田良子主宰(心理カウンセラー)の参考人四氏が意見陳述しました。本田氏は「(いじめは)がんばろう的スローガンで解決することではない。いじめを生み出す環境要因を排除すべきだ」と発言。清川氏は「子どもの権利条約の学習が一切行われていない。おとなが子どもの人権をきちんと見つめていない」と批判しました。
日本共産党の高橋千鶴子議員はいじめ自殺問題について「まさにおとなが試されている時だ」と主張しました。また、文部行政がくるくる変わり、通達や報告などに現場の教師が忙殺されているのではないかと質問。森氏は、国からの施策に、「理解できない部分や追いつかない部分があり、矢継ぎ早の施策によって、教師は、やや『ゆとり』をなくしている」と語りました。
高橋氏は、不登校問題についても質問。内田氏は「(学校に)行かざるを得ない子どもの方が多い。それらの子どもたちが事件・事故を起こしてしまう事態に追いつめられてしまう。いじめの加害と被害は表裏一体だ」と指摘しました。
(2006年11月18日(土)「しんぶん赤旗」より転載)
――― 議事録 ――――
○高橋委員 日本共産党の高橋千鶴子です。
きょうは、四人の参考人の皆さん、本当に貴重な御意見をありがとうございました。
いじめによる自殺という連鎖がとまりません。自殺予告という事件が起きたときに、私は、大人が試されていると思いました。どんなに格好悪くても、おろおろと大人が心配し、必死に取り組み、子供たちの命を守れ、そのメッセージが伝わるということが本当に待たれているのではないかと思います。
きょういただいた意見は、本当にあらゆる現場で活動されている皆さんの意見、やはり答えは一つではないと思うんです。どれも参考になって、そういうあらゆる分野の皆さんの意見、知恵、経験をすべて交流して、それがいじめ克服につながるんだということに進むように私自身も頑張っていきたいな、そういうふうに思いました。
最初に、森参考人に伺いたいと思うんですが、先ほども紹介があった、コミュニケーションを大事にする友達づくり、私も大変、その子の力を、よさを引き出す教師の力というのに対して本当にうれしく思ったし、そういう先生方というのはきっと全国にたくさんいるんだろう、現場で頑張っているんだろうということを思っております。
そこで、学校において最も大事なのは、やはり友達関係ではないのか。やはり、一人でも自分を理解してくれる友達がいることが、いろいろあっても、どんなに救いになるか。あるいは、決定的に一人がいるために学校にどうしても行けない、そういう実態もまたあるのではないか。どの子もいじめる側にもいじめられる側にも立った経験がある。それが非常に多いということが昨今の調査でもわかっています。ですから、このことが、子供たちの人間関係と、加害者にも被害者にもくるくるとなっていく、そこがなぜなのかというところが一つの糸口になるのかなと思うんですが、御意見を伺いたいと思います。
○森参考人 大変貴重な御意見をいただいて、ありがとうございます。
高橋先生おっしゃいましたとおり、子供がだれかに相談ができるとか、私はこの友達によって支えられているという実感があれば、いじめから耐えられるときもあろうかと思います。先ほどの中で、いじめは死ぬまでするなとか、あるいはいじめられても死ぬなというような言葉は、すごく端的だなと思いましたが、そこまで考える子供はなかなか少ないんじゃないかと私は直観しております。
子供を動かすのは言葉ではない。言葉ではなくて、同じ活動を共有した喜びとか、集団で行った体験が、その子供の称賛に結びついたり、喜びの実感が伝わったり、あるいは連帯感が生まれたり、そういうものがあるときに初めて子供はだれかに支えられていると思うんだと思います。
望ましい集団活動は、自分の役割をきちっと理解していて、その役割が子供に与えられているということなんです。ですから、ある活動が成就したときに、だれちゃんがいたからこの活動はうまくいったんだ、私がいたからできたんだという思いを多くの子供に活動を通して共有体験させること、これが非常に大事なことであるにもかかわらず、いじめはいけないよ、だれだれをいじめていないか、それはいけないよという決まり文句の言葉として子供に伝えているところに非常に課題を感じております。
以上です。
○高橋委員 ありがとうございました。
そこで、行政にできることは何かということも考えてみたいと思うんですが、先ほどのさまざまな意見の中で、この間の五日制ですとか、ゆとり教育ですとか、学校の側の行政がくるくる変わったことによるいろいろな弊害ということもありました。文部科学省は、事あるごとに通達、報告、調査と矢継ぎ早に指示を出して、また問題が起きると、それは所管は現場の教育委員会であるというふうな答弁がございます。しかし、それでは事の本質を隠すのではないか。
そして、現場の先生方は、今森先生がおっしゃったように、本当に一人一人のことを引き出す力を持っているんだけれども、実際には大変な雑事に忙殺されているのではないかということもあると私は思うんですね。だったら、もっと多くの目を、見守りをする目をふやすことができるのではないか。子供たちがもっともっとゆとりある教育を受けられる環境を行政はつくってやることができるのではないか。そうしたことが行政の課題としてはあるのではないかなと私は思っていますが、もう一度森先生に伺いたいと思います。
○森参考人 大変大きな問題を私に付されたように思っております。私は一個人の校長としてここに出ておりますので、全体がそう思っているとか、私がつかんでいる限りそうであるということではないというお答えで聞いていただければと思います。
確かに、国から出される施策は、子供のことを考えた前向きなものであるという前提には立っております。それが、私の学校におりてきた際には、理解できない部分とか、なかなかそこに追いつかない部分とか、矢継ぎ早の政策であるとか、それが教師にとってややゆとりをなくしている部分があるかなと感じるときはあります。
しかし、その成果の喜びとか成就感みたいなものを、教師自身あるいは学校自体が考え、つかみ、そして地域、保護者がそのことを理解してくださるならば、忙しさ、多忙さというものが結局は子供のためになっているんだというところに返っていくんじゃないのかなとも思っております。
以上です。
○高橋委員 ありがとうございます。
今の一番と二番の質問に対して、清川参考人にもぜひ御意見を伺いたいと思います。
たくさんの子供たちの声を通して、子供たちの人間関係がどうなっているのかというのを一番よく御存じだと思いますし、同時に、さっきから学校に対しての期待がほとんどないのかなということが報告の中でもあったかと思うんです。しかし、同時に、学校にできることというのは何だろうというのをぜひ清川参考人の立場からお話をいただきたいと思います。
○清川参考人 直接的緊急避難は、先ほどから申し上げているように、教師や親には子供は死ぬ前に本当のことを言いません。間違いなく言いません。だから、緊急避難的には、私どもがやっているチャイルドラインというような、行政とか権力と関係ない、そういうものが受けとめる場所が絶対的に必要ですというのが、まず緊急避難的な対応です。これは早急にこの国に確立していく必要があるだろう。子供が信頼できる電話ですね。それが一点です。
二点目は、学校の中に、相手を傷つけたり自分を尊重したりすることについて議論が起こるような、子どもの権利条約の学習、あるいはお互いの議論、話し合い、そのことが行われれば、お金のかけ方も含めて学校の制度をドラスチックに変える必要はさっきから申し上げていますけれども、それが急にできないとすれば、せめて子どもの権利条約について、お互いの命を尊重する、お互いの生きる権利を尊重する、そして自分の生きる権利も尊重するということをきちんと学び合う、その教科をどこかの時間で確実につくる。
私の知るところでは、島根県教育委員会は小中学生一人一人に子どもの権利ノートというのを配っています。どの程度それが学校で利用されているかは私も正確にはわかりませんが、そういうことが行われることは非常に大事なことです。
そうしないと、いじめを見つけるといっても、実は我々の把握では、今は携帯とかパソコンのメールによるいじめが親や教師の知らないところで静かに深く進行しているわけですね。だから、いじめの発見、発見なんというのも、実は極めて難しくなっているわけです。だから、そういう部分を断ち切るには、やはり他人の権利、生きるということを尊重する、自分の命も大事にする、そういうことを学校教育の中で大事に教えていくことがこれからは非常に大切になるんだろうというふうに思います。
○高橋委員 ありがとうございます。
私も、子どもの権利条約を学校でしっかり学ぶということは非常に大事な提言かなと思っております。ありがとうございました。
そこで、内田参考人にぜひ伺いたいと思うんですが、不登校の問題でずっといろいろな提言をしていただいて、子供たちが苦しくて命を失わなければならないほどのいじめであれば学校を休んだっていいじゃないか、私も本当にそう思うんですね。それが人生の一時期であって、一生そのまま不登校になるということでは決してないということでの提言は非常に大事ではないのかなと思っております。
先生が講演されたいろいろな中に、昨年の十二月の末に行った講演で、東海地域で講演したことをお話しされていますね。その地域で頼まれた講演は、不登校の経験が二件しかない、それで不登校の話をされても意味ないというか、そういうふうに主催者に言われたんだけれども、先生があえて不登校の問題に触れたら、保護者がその後、列をなして控え室に来て、実はうちの子も、うちの子もという話があったと。
ですから、今回の、いじめの報告がずっとゼロだったということにも非常に関連していると思うんですが、報告というのはえてしてそういうもので、二件と報告されているんだけれども、実際は現場は全然そうではない。そこに何が起きているかという報告を上げない、知ろうとしない中で、行き場のない保護者ということがあって、そこに内田先生が非常に貴重なきっかけを投じることになったのではないのかな。このことが非常にこの間のいじめの問題においても教訓になるのではないかなと思うので、少し紹介していただきたいと思います。
○内田参考人 各地に行きますと、おっしゃるとおり、我が校には不登校は一人もおりませんという学校や関係者が多いんです。ですけれども、学校の中には、保健室登校、それから校長室登校、相談室登校の子供たちがたくさんいるというふうなことがありまして、今子供たちは、見えない不登校という形で、心に学校行きたくない、行くのがつらいという気持ちを抱えながら、体は学校に行っているということがあります。その学校に行っている子供たちが限界まで我慢して非常につらくなっているために、みずから命を絶つ、あるいは学校で事件を起こす、そういうふうなことになっているんだと思います。
そういう点でいいますと、文科省の公式発表の中の十二万二千人というのは、年間三十日学校を休むことができた子供たちなんです。それに対して、学校復帰策で学校に、戻るに戻れないんだけれども、行かざるを得ない子供たちというのは、その数の五倍から十倍いると思います。その子供たちが追い詰められて命を絶ったり事件を起こしたりするということに追い込められていく、そういう非常に危ういバランスの中で今学校が成り立っているということが実情ではないでしょうか。ですから、今回のいじめが絡む自殺が続くことの背景には、そのことがあると思います。データの中にも入れておきましたけれども、そういうことがあると思います。
もう一つ、とても大事なことだと思うんですけれども、やはり学校には、未熟な子供たちを一つの教室に入れて一緒にやっていこうというふうにいったら、未熟な子供たちであればあるほど摩擦が生じるというのは必然だと思いますので、私は、学校にはいじめはあるというところから出発すべきだと思います。
しかし、その中で、いじめで、きょう、あす死のうか、どうしようかと迷っている子供たちに、無理して学校に行かなくていい、命を守るためには、学校の非常口は学校を休むことだよと言うことはとても大事だと思うんですけれども、実はいじめている側の子供たちこそ、そのメッセージが欲しいということがあるんですね。ですから、いじめられている子といじめている子と、そういう点でいえば本当に表裏一体の関係になっていると思いますから、すべての子供に学校を休む権利がある。
それからもう一つ、そういうことを私が子供たちに言うと、うんと言わないんですね。休んだ後の保証、不利益をこうむらないという保証がなければ休む方がもっと不利益になるというふうなことがあるから、休んだ後、学びや育ちに不利益をこうむらないような、そういう手だてをぜひあわせ持って、命を絶たないために学校は休んでいいところなんだよということをきちっと伝える役割を私たち大人は持っていると思います。
○高橋委員 ありがとうございました。
やはり、だれかのせいだということではなく、学校も保護者も、お互いの責任ではなく、みんなで力を合わせる、そして社会も力を合わせていくということが大事ではないのかなと思いました。
時間がなくて本田参考人には伺うことができませんでした。大変失礼いたしました。
ありがとうございました。