○高橋小委員 日本共産党の高橋千鶴子です。きょうはありがとうございます。
今の阿部委員の質問にも関連して、私も同じような疑問を持っていますので、質問をさせていただきたいと思います。
先ほど来、脳死の定義の問題について、区別をして考えるべきである、厳密に、あいまいさをなくすべきである、そういう指摘がされておりました。日本でも、脳死の基準そのものを今見直すべきではないかという議論がされているわけですけれども、各国でもそういう取り組みがあるのかについて、まず伺いたいと思います。
同時に、やはり社会的に脳死イコール死であると一般化されてしまった場合に、親が拒否したとしても、しかしもう社会的には死んでいるんだよと言われることに対しての、いわゆる脳死で長期に生きている子供さんを抱えている親御さんが非常につらい思いをされているという現実がございます。この点では、脳死は死ではない、つまり脳死イコール死であるということが国際的に一般化されているわけではないと思いますけれども、その点で御確認をさせていただきたいと思います。
三点目、あともう一つは、子供の自己決定について、年齢が今よりもずっと若くても、子供には自己決定する権利もあるし能力もあるという形で、これを教育していったりする取り組みが各国にもあるのではないかと思いますが、その点について伺いたいと思います。
○ノエル参考人(通訳) 今の問題から派生的な問題が出てくるかと思います。
まず最初ですけれども、再び基準というお話ですね。神経学的な基準に基づく判定、これは小児に関するものですけれども、私はこの専門家ではありません。先ほど申し上げたとおりです。
私が本当にマスターではない分野の話はしたくないんですけれども、ただ、私の経験に基づいて申し上げるのであれば、実際に知識のある者にしてみますと、明確な場合というのは問題が生じることはないのではないかと思います。ですので、あいまいではない状況があるということを言っているわけです。例えば小児の状況であったとしても、それがあいまいさがない状況というのは可能であるというふうに申し上げているわけです。
また、未成年者の保護ということに関しては、指針の方では未成年者の同意を重要視しています。特に年齢という形の線引きはされていませんけれども、本人の同意ということは尊重されるべきであるとされています。
また、これは議論対象となり得る分野だと思っておりますし、また、この場合は生体ドナーからの臓器提供というお話になりますけれども、第三者の独立した者が、適切な状況理解のために行うということが重要になってきます。
死亡の後、臓器提供を認めた場合ですけれども、こちらはやはり、国民の認識レベルにもかかわってこようかと思います。実際の協議プロセスにおきまして、さまざまな国と協議を行いましたけれども、そこから見ますと、死亡の後の臓器提供は何を意味するのかということを早期の段階から説明するということが必要であると思っています。小学校の段階からということも先ほど申し上げました。こちらは公民教育の一環として行うことができると思います。もちろん、これは両親にもその影響が出てきます。
一般的に申し上げて、説明をする、そして明確な目的を持つということ、これは、適切な組織を最善の形で活用する。そして、患者のニーズは非常に高いわけです。それを尊重しながら適切な、科学的な知識を用いて行う、そのためには多くのコミュニケーションをとる必要があるわけです。
それぞれの社会で異なる信念があります。文化、背景も異なっています。また手法は、さまざまな方法があるかと思いますし、また、頂上に達する道筋はいろいろあろうかと思います。ただ、その頂上は同じであろうと思っています。また、情報交換の重要性、そして情報共有の重要性というのが、いい成果のためのかぎとなると考えています。