国会質問

質問日:2009年 4月 21日 第171国会 厚生労働委員会

臓器移植 ―参考人質疑

 衆院厚生労働委員会の臓器移植法改正に関する小委員会は二十一日、参考人質疑を行いました。

 日本弁護士連合会の光石忠敬氏、国立小児病院・小児医療研究センターの雨宮浩・名誉センター長、海外で心臓移植を受けた青山茂利氏らの六人が意見を述べました。小児脳死について、大阪医科大学小児科学教室の田中英高准教授は、脳機能が「100%戻らないと断言できない」とし、判定後に身長が伸びたなどの事例を紹介しました。

 日本共産党の高橋ちづ子議員は、脳死の判定が救急医療現場で日常業務に支障をきたさないか、臓器移植についての国民的理解の現状はどうなっているかなど、各参考人に質問しました。日本医科大学大学院の横田裕行教授は、家族が脳死を受け入れるには時間がかかること、それも含めて判定には平均四十五時間以上かかると指摘、「外来に影響を与え、急患を受け入れられない事例もあった」と基盤整備の必要性を訴えました。

(2009年4月22日(水)「しんぶん赤旗」より転載)

 

――― 議事録 ――――

○高橋小委員 日本共産党の高橋千鶴子です。

 本日は、六人の参考人の皆さん、本当にありがとうございました。

 九七年の公布以来改正されなかった臓器移植法が、今般、何か急速に改正を決めるのだというような動きが出ているという報道がされております。

 私どもは、九七年、脳死は人の死であるという国民的合意がまだされていないという立場で反対をいたしました。また、党議拘束を外すという問題についても、一つの政党の中でさえ意見が分かれる段階で、そのときいるメンバーの数で法律にするということ自体がどうなのか、そういう立場をとりました。

 その後、関係者の御努力によって、現行法の中でも貴重な実績が積み上げてこられたこと、また、世論の変化も一定見られているということも当然考慮しなければならないと思っております。

 きょうは、そうした意味で、先入観をなるべく持たずにお話を聞かせていただきました。いずれも非常に重要な、貴重な、そして共感の持てる御意見だったと思うんです。だからこそ、こうした場をもっと広く重ねていく必要があるのではないか、そのことを改めて感じたということを最初にお話ししたいと思います。

 最初に、横田参考人にお伺いしたいと思います。

 先日、私も委員会の視察で現場を見せていただきました。大変な御苦労を現場ではされているということで、本当に敬意を表したいと思います。

 先生がおっしゃっている脳死判定と臓器提供というのは分けて考えるべきだという御意見は、非常に貴重なものかなと思っております。また一方、生身の、心臓が動いている方たちが、この人は医学的には脳死なんだよと言われたときに、やはり割り切れない思いをさせていただきました。

 そこで、横田参考人自身が、厚生労働科学研究の臓器移植の社会的基盤整備に関する研究で、ドナー家族への心理的な問題に対して分担研究をされております。こうしたことが余り広く表に出ていないこともありますので、ぜひ御紹介いただければと思います。

○横田参考人 お答えさせていただきます。

 救急の場面というのは、朝、元気で送り出した家族が、突然病院から重症ですということの電話がかかってきまして、実際病院に行ってみると、もう意識がありません。次の日、脳死の判定の結果を時に我々は言わざるを得ない場面があるわけですけれども、その際、我々はどこに注意して、言葉遣いあるいは話す環境等、どういうところに注意しながら家族に話すべきなのか、あるいは話すタイミングでさえ非常に難しいことが言われています。

 そういったことを、実は、これも学内の倫理委員会の許可を得まして、脳死の判定をした家族に実際会いに行かせていただきまして、調査させていただきました。その結果が、今御紹介のあった報告書であります。これによりますと、家族が脳死を受け入れるには、やはりある程度の時間が必要だ。これは家族の年齢や社会的背景によってさまざまですけれども、やはり一定の時間は必要であろうということが結論でありました。

 以上です。

○高橋小委員 その先もさまざまあったと思うんですが、時間の関係で、そうした御報告だったと思います。

 ある程度の時間が必要である、そしてまた、その時間を惜しむわけにはいかないのではないかということをあえて私自身も思っているところであります。

 ただ、同時に、先般の視察のときも御紹介があったのですけれども、きょういただいた資料の六ページ目に紹介をされているように、救急医療、脳神経外科施設へのアンケートの中で、やはり脳死判定に非常に時間がかかって、また、医師が複数とられて日常業務に支障を来すということもアンケートの中で浮かび上がっていると思うんですね。その点をもう少し、どういうふうな支障なのか、実際には、外来の受け入れとの関係、救急の受け入れとの関係などが紹介されたと思いますが、ぜひお話しいただきたいと思います。

○横田参考人 先ほどお話ししましたように、法的脳死判定を行って臓器提供を行いますと、約四十五時間かかります。これは丸々二日、場合によっては三日、時には四日というふうな時間がどうしてもかかってしまう。そういう中で、救急医療施設では何らかの業務、日常業務、いわゆる一般診療に影響を与えているというのがこの七ページの報告書であります。

 その中で、実際、救急患者さんの受け入れをできなかったというところまでの影響を指摘した施設がここに書いてあります。六施設ですから、当時まだ少なかったんですが、たしか二十五分の六ぐらいだったと思うんです。ただ、これはやはりシステムとして解決しなくてはいけない、脳死下臓器提供が日常の医療になるには、やはりここの部分は解決しなくてはいけないところではないかというふうに感じた次第であります。

 以上です。

○高橋小委員 やはり、別の救急の方たちを受け入れられない事情が少なくてもあったということは、非常に衝撃を受けたわけであります。

 そもそも、今、救急医療そのものが非常に基盤整備がおくれている。やはり先生のいらっしゃる日本医科大学のような設備があるところはまだまだ少ない、人的体制も全体としてはまだまだ少ないという中で、そういう救急医療そのものをやはりうんと充実させていくということがまず大前提としてあるのだろうということを非常に感じたところであります。その基盤整備という点では頑張っていきたいと思っております。

 次に、光石参考人と雨宮参考人に同じ質問をさせていただきたいと思うんです。

 ドナーカードを常時所持している方が一・六%にすぎないのだと。私は、ドナーカードを持っているだけではなく、常時持っている方というのは、やはりそれなりの強い意思、むしろ提供したいのだという強い意思を持っているということなのかなと思うんです。

 でも、逆に言えば、持っていない人は多いけれども、五四・三%が家族の判断にゆだねると世論調査では言っているのだから、拒否していない限りよいのではないかということは言えないのであろうと思うんです。というのは、将来、自分自身が臓器提供する意思を持っているということでカードを書いたとしても、今ではないという気持ちというのは絶えずあると思うんですね。それは、ある意味、拒否と言えるのではないか。だけれども、拒否カードを持つことで強く意思を示すということもまた非常に勇気が要ることではないか、このように思うわけであります。

 ですから、やはり、拒否しなければ、家族が同意すればいいのではないかということではなかなか割り切れるものではないというふうに考えますけれども、ぜひお二人に伺いたいと思います。

○光石参考人 僕も、今おっしゃった考え方、そのとおりだと思います。やはり、拒否するということ自体も結構大変だ。

 ただ、先ほどの、ドナーカードを持っている人が非常に少なくて、持っていない人が多いということの意味をどう考えたらいいかという意味では、それは先ほど私が申し上げましたように、一般的にはそれはそれでいいかな、しかし、いざ自分の問題ないし自分の家族の問題になってきたらやはりもっともっと慎重にいろいろと知りたい、多分それが多くの方々じゃないかな。

 そうしますと、先ほどから申し上げるように、定義とか、それからそういった問題について全然、脳死と言ったら脳が死んでいるというふうにみんな思ってしまいます。しかし、そうではないんですよ。もっと前の状態で判定をするということになっていますから。しかし、そういうことがわからないでいろいろなメディア等で世論調査されても、それは本当は違っていますね。そういうことをもっと大事にしたいと思っております。

 以上です。

○雨宮参考人 今、ポケットにいわゆるドナーカードなるものを私持っておるんですが、実は、ちょっと前なんですが、財布を調べたら入っていないんですね。私は、移植学会のメンバーでもありますし、このことに関しては非常に積極的な人間の一人だと思っておりますが、どうしてそのとき持っていなかったかなと思ってみましたら、最近、物すごくカードが多いんですね。あちこち入れている間に、いわゆるドナーカードというものをひょっとこっちに置いたままになってしまう。それで、持って歩いていないということがあります。こういう社会情勢ですから、そういうことはたくさんあるんじゃないか、私はそういうような理解をしております。

 それから、先ほども述べましたけれども、かつては、この法律ができたときには、いろいろなところに、書き込めるようなドナーカードが置いてあったわけです。今はそんなものは全然置いていないですね。そうなってくると、先ほどの内閣府の意識調査で、脳死になったときに臓器提供の意思がありますか、こういう質問があるんですね。これですと四三・五%の人がありますとおっしゃっているんですが、実際にはカードを書くチャンスがほとんどないということで、やはり、思っておられることと書くということ、そこのところにいろいろな条件で差が出てしまう。だから、慎重に考えた上で書いていないというのとは違う条件もたくさん入っているんじゃないか、私は自分のことを考えますとこんなふうに考えておるというのが実情です。

 ですから、私が述べましたように、ドナーカードを実際に書いている人というのは三%ぐらいだと言っていますけれども、四三・五%の人が上げてもいいよと考えていらっしゃる。だったら、ドナーカードというのは、やはり普及活動のためには物すごく必要なんですけれども、臓器提供といったような場面ではその実用性は余り考えられないというようなことなのではないかな、こんなふうに実は思っているわけであります。そこで、A案、A案とさっきから申し上げている、こういうふうな状況でございます。

○高橋小委員 ポケットに持っていなかったという今のお話を聞いて、多分両方にとられるのではないか。意思は持っているけれども見落とすときもあるんだよということと、そのときはぱっと書いたけれども突き詰めて考えたことがなかったとか、さまざまなことがやはりあるんだろうと。そういう点では、まだまだ確かに情報が足りないし、世論調査のあり方自体も、一つで決められるようなものではなく、十分に情報提供した上での調査をしていくということがやはり必要なのではないかなと改めて感じました。

 そこで、次に、田中参考人に伺いたいと思うんです。

 先ほどお話があったように、小児脳死判定基準を用いて脳死と判定しても、一〇〇%の症例で脳機能が戻らないとは医学的に断言できない、こうした考え方、それから、被虐待であるか否かを適正に行えるという答えは一二・三%しかなかったということ、そして、虐待であることを判断するまでに非常に長い時間を要するということの御報告があったと思うんですね。そうすると、虐待の要素というものを排除できない以上は、親の判断で提供するという状況はやはりあり得ないのではないかなということを改めて先生のお話を聞いて感じたところであります。

 三つの基盤整備ということをお話しされておりますけれども、多分、今、もともと不足している小児科医が飛躍的にふえるというだけで、それは基盤整備ができたとは言えない、もっと社会的な条件というものがさまざまあるのではないかということを感じますけれども、その点いかがかということ。あわせて、小児科学会の中でまだコンセンサスが得られていない。今回焦点になっているのはやはり小児の問題ですので、そのこと自体が重要で、時期尚早ではないかということを率直に思っておるんですけれども、その点、伺いたいと思います。

○田中参考人 田中でございます。

 先生の御意見に全く賛同でございます。問題が山積みでございます。この問題が山積みだということも、国民は知っておりません。ですから、まだまだ山積みであるということをまず一般国民にお示しくださることが国民の代表である皆様方のお仕事ではないかと私自身は強く感じているわけです。

 それから、虐待の話に少し触れさせていただきますが、虐待を脳死の小児から見つけて除外するということに話の焦点がどうしても絞られぎみになってしまうんですけれども、日本小児科学会としては、虐待自体の数を減らさないといけない、被虐待児自体の数を減らさないといけないということが重要になってくるわけです。

 実は、私はスウェーデンに十何年前に行ったわけなんですけれども、スウェーデンではほとんど虐待がありません。実際はあるんですけれども、ほとんど虐待がありません。なぜかというと、非常に虐待に対しては厳しい考え方を持っております。

 私は家族連れで参りました。子供と一緒に家内もお店に入ったら、子供は幼稚園ぐらいでしたから、お店のものを全部引っ張り出して、があっとお店の中をめちゃめちゃにしたんです、珍しかったものですから。そうすると、全く関係ない普通の御婦人がだだだっと来て、家内にすごく文句を言っているんです。ぐわっと怒っているんですね。うちの家内は子供のおしりをぺちゃんとたたいたんですよ。そのことに対して、スウェーデンの普通の御婦人が、絶対たたくな、この国ではたたいてはいけないと。うちの家内は、しつけじゃないかと言ったんです。この国は、たたいたら刑務所だと。だから、スウェーデンでは子供をどんなことがあっても絶対たたけないんです。口で言うだけです。

 なぜそこまで厳しいのかといいますと、スウェーデンというのは、皆様方御存じかと思いますが、キリスト教を国教としているわけですね。つまり、国の宗教として認めているんです。つまり、人間も含めて、子供たちは神の子なんです、その神の子を虐待するとかお互いにいじめ合うなんということは許せないという発想なんですね。

 きょうは斎藤参考人も来られていますが、日本でももう少しこのような宗教的な精神の啓培ということをしっかりやっていただきたいと思います。日本の公教育でも宗教的啓培ということは保障されているわけですが、現実には公教育からは宗教はもうなくなっています。このようなことを変えない限りは、日本でも虐待の数はなかなか減らないのではないかと思います。

 どうもありがとうございました。

○高橋小委員 ありがとうございました。

 やはり、虐待そのものを減らしていくということは何をおいても取り組んでいきたいというふうに思っております。

 青山参考人には、本当にきょうは貴重なお話を伺いまして、ありがとうございました。

 人の死を待つのではないかとか、あるいは、自分の順番を待つということに対する気持ちの整理というか、どう向き合うかということは、やはりなかなか割り切れるものではないし、非常に苦しいものであるということを率直にお話ししてくださって、私たちもそういうお話を聞くことができたということ自体よかったと思いますし、感謝を申し上げたいと思います。あえて質問ということではなく、そうしたことでお礼を申し上げたいと思います。

 最後に、斎藤参考人にお話を伺いたいんですけれども、やはり、宗教、宗派の違いを超えて一貫した意見を述べておられるということには、まず敬意を表したいと思います。

 宗教者の立場から見ると、この臓器移植ということそれ自体が、やはりあれこれではなく反対なんだよということでもあるんだろうけれども、しかし、そういうことよりも、もっともっと議論を深めていくという立場であるというふうに受け取ってよろしいかと思うんですけれども、その点を伺いたいと思います。

○斎藤参考人 ありがとうございます。

 ただいまの点でございますが、宗教界は脳死臓器移植をすべてだめだというふうに申し上げていることではございません。みずからの意思を表明して臓器を提供したい、こういう方々もいらっしゃいます。これは現在の法律でも認められているわけでございますので、これについては宗教界の中でも了解をいただいております。

 しかしながら、先ほど申し上げましたとおり、本人の書面による意思表明、これは臓器移植を進める上ではぜひとも欠くことができないということを、宗教界の多くの意見として持っておるわけでございます。

 それと、繰り返すようでございますが、果たして脳死をもって人の死としていいのかどうか。

 宗教者は、いわゆる死に臨む人たちへ最後のグリーフワーク、これも大きな務めとしております。また、宗教者は、申し上げれば、提供を待つ人の苦しみもお聞きをいたします。一方では、提供を期待されている、そういう無言の中にある患者さん方の苦しみもお聞きをいたします。こういう中で、人々の苦しみを受けとめ、それをどのようにしてそれぞれの生に転じていくか、こういう務めをしているということを御理解いただければと存じます。

○高橋小委員 終わります。きょうは本当にありがとうございました。

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