衆院厚生労働委員会(田村憲久委員長)は5日、有志議員から提出されている臓器移植法改正案4案についての各議員からの意見表明を行いました。
同法改正案をめぐって4日の衆院議院運営委員会理事会は、9日の衆院本会議で田村委員長が「中間報告」を行うことを決めています。これは、審議中の法案について委員会が結論を出さないまま、審議を打ち切り本会議での直接採決を行うというやり方です。
日本共産党の高橋ちづ子議員は「中間報告」による審議打ち切りについて、「今日で委員会審議を終わらせるべきではない」と反対を表明し、委員会での審議続行を求めました。
高橋氏は、「移植を一日も早くと望む子どもらの小さい命を思うと何とか道を開きたい。しかし、命の問題を需要と供給のバランスで論じることはできません」と強調。おとなの脳死発生率が1%なのに対し、子どもの脳死発生率は0.4%に過ぎないため限られた症例、脳死判定基準の不確定があり、受け皿施設の整備不足などもあるとして、「今のままでは、道を開いても失望と現場の大混乱を招きかねない」と述べました。
また、高橋氏は、2007年に厚生労働委員会に設置された臓器移植法改正に関する小委員会では、いずれの参考人からも「貴重で、心うつ発言」があったと述べ、「本委員会での議論はまだ、それにこたえる水準になっていない。こうした機会を本委員会でも持つべきだ」と主張しました。
自民党議員からは、「国民に臓器移植についての正確な情報を伝え、再度、脳死臨調を開いて議論すべきだ」「人の生死に関わることは簡単に結論は出せない。採決を延長することを提案する」などの声もあがりました。
(2009年6月6日(土)「しんぶん赤旗」より転載)
――― 議事録 ――――
○高橋委員 日本共産党の高橋千鶴子です。
前回、四法案に対して、提出者に対する質疑が初めて行われて、きょうが二回目でありますけれども、多くの問いを残したと思いますし、また、議員立法とはいえ、詳細なことは条文にはなく、多くは政省令やガイドラインにゆだねなければなりません。そうした点でも、我々が、そうした点に対して国会の意思はどうなのかということをよく議論し煮詰めていくということがまだまだ必要なのではないか、そういうふうにまず最初にお話をしておきたいと思います。
きょうも依然として、脳死は人の死かということが議論をされておりました。もう答弁が繰り返しされてあるように、脳死は人の死であるというのがA案の前提ではあるけれども、それが脳死判定に入れない臨床的脳死の患者さんやあるいは長期脳死の患者さんに影響を与えるものではないのだという答弁であったかと思います。
この点で法制局に確認をしたいと思うんですが、簡潔にお願いします。
六条一項において、死体(脳死を含む)とあるのは、法的脳死を指すということでよろしいか。また、脳死判定に入らない臨床的脳死の患者あるいは長期脳死の患者に対し一切の影響を与えないという説明が条文上担保されているのか。
○岡本法制局参事 お答え申し上げます。
現行の六条二項の書き方でございますけれども、「前項に規定する「脳死した者の身体」とは、その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に停止するに至ったと判定されたものの身体をいう。」というように書いてございます。そして、三項で「臓器の摘出に係る前項の判定は、」次のような形で行うということになっておりまして、ここの「判定」というのは、これはいわゆる法的脳死判定、このように考えております。
○高橋委員 影響を与えないということは条文では明確にはされていないと思うんですけれども、そういう法律であるという答弁であったかと思うんです。
しかし、先ほど来、川内委員も繰り返し述べていらっしゃるのは、前提として、脳死は人の死である、こういうものに立っているわけですから、やはり社会的には死んだということなのよというふうな認識になってしまえば、やはり長期脳死の子供さんを抱えている家族など、その存在自体が否定されるのではないか。いわゆる社会的に否定される、このことに対する不安、これを払拭するものではやはりないと思います。
また、前提として死であるということがもうまずコンクリートされていますよ、その上で拒否するか否かはあなたの自由ですよということで、家族にその判断が迫られるという点では、やはりそれは家族の判断においても大きく影響を与えると思います。その点についていかがでしょうか。A案の方に伺います。
○山内議員 何度も繰り返しになってしまいますが、脳死臨調の最終答申では、脳死は人の死であるということについておおむね社会的に受容されているとされております。
また、報道機関が行った世論調査によれば、脳死を人の死と判定してよいかという問いに対して、約五九%の人が賛成しているのに対して、反対という方は約二〇%程度にとどまっております。また、内閣府の世論調査等を見ましても、脳死が人の死であるということに対しては、六割程度の方が賛成しているというケースがあります。
以上のようなことから、脳死は人の死であるということについておおむね社会的に合意が形成されていると考えております。
○高橋委員 おおむね合意がされているということの根拠は後で聞く予定でありましたが、それについて今の答弁がございました。
私が伺いたいのは、仮に、おおむね合意がされている、社会的にそういう状況が生まれたとしても、それが前提であるということが法律に書かれてしまった場合、脳死は人の死であるということが書かれてしまった場合、社会的に長期脳死の子供さんを抱えた家族が否定されることになるのではないか、あるいは、臓器提供の意思を確認される現場に影響を与えないかということに関して十分な議論が必要なのではないかということです。その点についてのお答えがなかったと思います。
○冨岡議員 先ほどちょっと現場の話をさせていただいたんですが、平成九年にこの法案が通ったときに大変危惧したのがそういう点でございます。
ところが、脳挫傷を起こした患者さんが救命救急センターに来てどういうことがされるかというと、まず救命措置がされ、そして脳が非常にダメージを受けた、そこで初めて臨床的脳死判定をします。家族が幾ら、法的脳死判定をしてくれ、臓器移植は嫌だけれども、してくれと言っても、それはその作業の中に入ることはできません。つまり、そこで法的脳死判定をして死亡宣告をするということは不可能であります。それは殺人になってしまいます。
同じように、臓器移植に入った場合には法的脳死判定の作業に入るわけでございますけれども、それが例えば一回目で法的脳死判定が成立したとしても、そこには二人の医師の厳密な判定者がございますし、また、六時間たってもう一度判定をするようなそういう作業が待っております。したがって、患者さん自身にしても、深昏睡の状態でありますけれども、家族が、一回目の法的脳死判定をなされて二回目に移る間に、もうやめてくれと言われた場合は、そこで作業を打ち切り、深昏睡のままで生存しているということになります。
私が何を申し上げたいかと申しますと、臓器移植の場合にのみこういった脳死判定が行われ、死の定義にいたしましても、三徴候をもってする、そういった死の定義がおよそ九九・九%程度で行われているという現状を十分認識していただければと思っております。
○高橋委員 もちろん、やめてくれと言う権利を持っているというのは十分承知をしております。
私がお話ししたのは、脳死判定を家族が許諾するその時点で、社会的にもう合意がなされているんです、脳死は人の死ですから判定して、多分そうなりますよということになっては困るということを言っているんです。それはもうやり返しません。それは厚労省の委託研究の中でも、ドナー家族がそこに至るまでのどれだけ長い時間を要したかという研究もされておりますし、もっともっとそのことが議論をされていいのではないかということを提起しておきたいと思います。
先ほどお話があった、おおむね合意がされている、この中身でありますけれども、脳死臨調がそういう報告をしたからといっても、それからもう十数年たち、第二の脳死臨調が必要ではないかという議論がされているときであります。
昨年の内閣府の世論調査で、提供を認めるか否かは家族の判断にゆだねるべき、家族の判断にかかわらず認めてよいが、合わせて六一・六%、あるいは、十五歳未満の臓器提供をできるようにすべきだが六九%であるということを言って、根拠にされているかと思います。しかし、三割は依然として、認めるべきではない、あるいは、本人意思としてどちらとも言えないと答えていることも事実であります。ここを、単におおむねという言葉でくくってよいのかということが問われると思います。
現行法にある、第二条、個人の意見を尊重するという条文は、一切A案においてもさわっていないわけです。だとすれば、今意思を表明できないといういわゆる消極的な拒否、これをどう尊重していくのか、伺います。
○冨岡議員 お答えします。
提供したくないというのは、十分に意思として尊重されているものと私たちは考えております。
○高橋委員 だから、どうしてそれは担保されるんですか。意思が表明されない場合は家族が許諾してよいという法律なわけですよね。
○冨岡議員 それは、子供さんであれば、そんたくをし、家族がその子供の気持ちをもって臓器提供を許諾するようなシステムを私たちは考えております。
この点につきましては、よく解剖体、献体ということがございまして、臓器移植法の場合には、亡くなられたお子さんの利益にならないんじゃないかという考え方があって、利益にならないのならやってはいけないのじゃないか、親御さんでも御両親でも、してはいけないのじゃないかという考え方がありますが、私たちはそうは思っておりません。
すなわち、両親が子供の生前の意思をそんたくし、推しはかり、そしてそれを提供していくという考え方、これは解剖の場合にも全く一緒で、現行でも、例えば二歳で非常に難しい病気で亡くなられた方などはどうされているかというと、何とか子供を生かすことができなかったのか、その親の気持ちでもって、子供から得られるものを医学的に役に立たせてくれということで、解剖をお受けすることがございます。
そういう意味で、この臓器移植法改正法案も、私たちA案提案者としては、そういった御家族の気持ちを、そんたくという言葉を使っておりますが、推しはかって、やれる道を開いたわけであります。
○高橋委員 そんな質問はしておりません。私は、別に子供のことを聞いたわけではないんです。A案は、大人でさえも、本人の意思が明確でない場合、家族が書面で承諾をすれば認められるということですよね。だから、本人の意思が表明されていない、それは消極的拒否とも言えるのではないか、そこの尊重が、個人の意見を尊重するといいながら盛られていないのではないかということを指摘しています。
ちょっと時間がないので、もう一度聞きますので、次に行きます。
政府に伺います。
臓器提供意思表示カードは、一億二千万枚以上配布され、八百万人が所持をしていると言われています。まだまだ少ないということが課題になっているわけですけれども、一昨年三月から運用を開始した臓器提供意思登録システムにおいて、登録されている人数と、そのうち、拒否の意思が登録されている方は何人。お願いします。
○上田政府参考人 社団法人日本臓器移植ネットワークによりますと、臓器提供意思登録システムの登録について、平成二十年度末現在、累計登録者数が四万三百七十六件でございますが、そのうち、臓器を提供しないという意思が登録されているのは四百八十八件でございます。
○高橋委員 非常に興味深い数字だと思うんですね。本当にまだ四万三百七十六件と少ないけれども、みずから提供したいということを。前回、小委員会でちょっと議論があったんですけれども、カードを書いたんだけれども持っていない人がほとんどであると。しかし、あえて提供したいということを積極的に意思表示をしている方が登録という形で四万人を超えているということ。一方、拒否している方が四百八十八件、これは非常に少ないけれどもあるんだということは非常に興味深い問題ではないかなと思うんですね。
ですから、この間議論がされてきたのは、ドナーカードの普及はもうなかなか限界であるとか、臓器が足りない、不足している、海外へはもう行っちゃいけないんだ、そういう議論がされて、だったら、意思を聞かなくても家族がよしとすればふやすことができるのではないか、そういう理屈ではやはりうまくないんだろう。それは、子供の問題はまた別な角度で考えなきゃいけないんですけれども、しかし大前提として、やはりそうした意思を示す、拒否も含めて意思を示すということ自体をもっとふやしていこうということがあってしかるべきだと思いますが、A案の方にもう一度伺います。
○冨岡議員 どのようにふやすかという話だと思いますけれども、臓器提供については移植コーディネーターがドナー、レシピエント間の調整を行っており、具体的には、臓器提供候補者の医学的な評価、家族への臓器提供に関する情報提供等を行っております。
現在、臓器移植ネットワークに所属する臓器移植コーディネーター約二十名と日本臓器移植ネットワークから委嘱を受けた都道府県コーディネーター約五十名が活動しておりますが、さらにその人員等を拡充する必要があると考えております。
また、今後、移植コーディネーターに係る体制がより整備されることにより、地方における受け皿の確保や人手不足の解消が図られることを期待しております。
また、なお、これはA案としても、運転免許証とかあるいは保険証、将来的には社会保障カード等にそういった臓器提供に関する事項を書き込めるような、そういった制度を整備したいというふうに考えております。
○高橋委員 親族の優先提供について、A案、B案の方にそれぞれ伺いたいと思います。
六条の二でこの問題が盛り込まれているわけですけれども、その前提である第二条、「必要とする者に係る移植術を受ける機会は、公平に与えられるよう配慮されなければならない。」この点に関しては一切変わっていないわけです。それとの整合性が問われないかということが一点です。
公平性について問題があり、家族に対する心理的圧力になったり、よしんば自殺や養子縁組など付随した問題が起きないのかという危惧を感じますが、これらについて両案の提案者に伺いたいと思います。
○山内議員 移植の公平性についての御質問にお答えします。
現在、臓器移植を望む患者さんは、血液型が適合するか、医学的に緊急度が高いかなど、臓器ごとの詳細な条件に照らして優先順位が決められております。親族への優先提供の意思表示を認めることは、こういう従来の優先提供のあり方を変更するものであり、公平性の原則に反するという御批判があることは承知をしております。
ただ、公平性の原則が大事だということはよく理解しつつも、やはり自分の臓器は身近にいる親族に提供してもらいたい、そういう声が強くあることもまた事実であります。生活をともにしていく中で強い信頼と情をはぐくんできた家族には少しでも長く生きてもらいたい、そういうふうに願うことは人が持つ自然の感情として十分理解できると思います。そして、こういった感情というのは、移植医療がよって立つ人道的精神の根幹にかかわるものであり、考慮されてしかるべきではないかと思います。
また、本人意思の尊重という立場からすれば、自分の臓器の提供先の指定がいかなる場合にも認められないというのはやや硬直的過ぎる考え方ではないかと思います。
さらに、親族への臓器提供の意思表示を認めたとしても、これが臓器移植の公平性の原則を根本から否定するほど重大な影響を及ぼすほどの数に上るとは考えられません。
したがって、親族に対する優先提供の意思表示は、強いきずなで結ばれた家族として自然に持つ感情への配慮を理由にこれを是認するのが適当であると考えております。
ドナーになることへの圧力ということに関しては、御懸念はごもっともだと思いますが、普及啓発活動などによって国民が移植医療に対する理解を深め、適切な移植医療が行われるようにすることによって、そういった圧力に対しては対処していくことができるのではないかと思います。
公平性の原則は大事だと思いますが、親族に限っては例外として認めることができると考えております。
○石井(啓)議員 B案におきましても親族への優先提供の項目があるわけでございます。
これは、やはり自分の臓器は身近な親族に提供したい、そういう自然な感情を尊重するというものでございますけれども、これがそうそう頻繁に行われるというふうには思いませんので、公平性の原則を崩すほどのものには、重大な影響を及ぼすことにはならないというふうに考えております。
これがドナーになることへの圧力になるのではないかということでございますが、A案においては本人の意思が不明な場合でも家族の判断によって臓器提供が可能になるということですから、親族への優先提供ということがあると家族の判断にいろいろな影響を及ぼすのではないかということであろうかと思いますが、B案におきましては、あくまでも現行法の本人意思尊重、これを厳守しておりますので、したがって、本人の意思に反して家族がこれをやるということはあり得ません。そういった意味で、B案については御懸念は全く無用でございます。
○高橋委員 ありがとうございました。
公平性の原則ということに対して、頻繁でないからとか、まれであるから大丈夫であろうということではなかなか片づけられないのではないか、これはやはり生体間の移植とは一線を画すべきであろうということを指摘しておきたいと思います。
そこで、大臣に伺いたいと思うんですけれども、やはりどうしてもまだまだ議論が足りないなと思うのは、救急救命の議論がどうしても置き去りにされがちではないかということであります。脳死のような状態が起きるような現場で、救命救急がまず大前提であるということは間違いないと思うんですが、しかし、そうなっていない現実があるのではないか。
例えば二〇〇二年の厚生労働科学研究、救命救急センターにおける重傷外傷患者対応の充実のための診療実態調査の研究というものがございますが、救命救急センターでの外傷死亡症例のうち、適切な診療をしていれば救命できた可能性が高いケースが約四割存在すると言われています。診療成績には大きな施設間の格差があり、六五%以上の確率で救命できた可能性がある非常に問題がある施設が八施設あったというのが厚労省の研究の指摘であります。
この問題については、交通事故の遺児の家族の会なども、本当にそこに対しての疑念がどうしても払拭されないということがあるわけであります。
その課題については否定をされないと思うのでありますけれども、改善方について、大臣、どのように取り組んできたのか、取り組んでいくのか、伺います。
○舛添国務大臣 救急医療の重要性、それは今委員がおっしゃったとおりで、まず命を救う、これが大前提であります。そのための施策をこれまでも、昨年度の二次にわたる補正、そして今年度の本予算、そしてまた今回の補正で医療体制の整備ということを行ってきたところであります。
とりわけ、その中で、小児の救命が少しおくれている。先般、これは阿部さんからだったか、PICUの話がありました。これは、十八年度から重篤な小児患者に対する財政的な支援を行っているわけですけれども、特に専門家の間でも検討会を開いて、ちょうど先日検討会が終わったところなんですけれども、やはり発症直後に小児の救急患者を救うために、超急性期の救命救急医療を充実する、それからその次の急性期、この集中治療、専門的な医療の提供というようなこと、こういう取りまとめをいただいております。
とりわけ、PICUの整備を含めて、今後さらに、命を救う、とりわけ今、小児の命を救うことに若干おくれをとっておりますので、全力を挙げてまいりたいと思っております。
○高橋委員 先般、阿部委員からPICUの不足の問題が指摘をされました。
また、今大臣が紹介された検討会の中間まとめが行われたわけですけれども、例えば三月四日の第一回の委員会では、順天堂大学浦安病院の山田、田中両先生が提出した資料の中でも、新生児死亡率が世界一低いのに対して、幼児の死亡率が二十一位となっているその理由の一つに「不慮の事故への対応のまずさがある。」として、「小さな施設で十分な集中治療を受けることなく亡くなっている。」こういうことが指摘をされたと思うんです。その点では、まだまだ、救命救急センターの場合、小児救急専門病床が六施設、十九床しかない、小児専門病院の中の小児集中治療室は十五施設、百六十床にすぎず、非常に少ないということがあるかと思います。
大臣はその決意を述べられたわけですけれども、しかし一方では、そういう集中治療室を備えると同時に、二次救急の整備、後方支援というのがやはり大事だと思うんですね。例えば、全国の小児在宅人工呼吸患者が千六百名、長期人工呼吸患者が八百名あると言われています。慢性期にある小児患者への医療提供体制も確立していかなければならないということが指摘されているんです。
つまり、今、少ないベッドの奪い合いになっている。小さい次に来る命を救うために転院を迫られるということも現実に起きている。当然、ここもあわせて整備をしなければならないと思いますが、局長でよろしいですが、答弁を一言。
○外口政府参考人 御指摘の重篤な小児患者に対する救急医療体制の検討会の中で、先ほど大臣から申し上げましたような小児集中治療室、PICUの確保策について答弁ございましたけれども、このほかにも、小児救急患者の搬送と受け入れ体制の整備、そして、発症直後の重篤な時期、超急性期の救命救急医療を担う体制の整備、さらには、急性期の集中治療・専門的医療を担う体制の整備、この中で、超急性期から慢性期までを一体として整備すべき、こういう御提言をいただいておるところでございます。
こういった専門家の先生方の現場の御意見を踏まえながら、必要な対策を検討してまいりたいと考えております。
○高橋委員 私が危惧をしているのは、小児救急の現場が大変な実態になっている、こうした中、小児の臓器移植が可能となったとしても、現実には、期待を裏切り、現場の混乱をもたらすのではないか、ここに対する議論がやはり必要なのではないかと思うんです。
それで、端的に伺いますけれども、今指摘をしたような小児救急の現場で対応する専門病院などが臓器移植の現場となっていくのではないかと考えられますが、そうした一定の専門の施設を備え、また、臓器提供できる指定病院であり、かつ倫理委員会を備えているなど、そうした条件をクリアして、子供の脳死判定あるいは臓器提供に対して一定対処できるであろうとされる施設は一体どのくらいあるでしょうか。
○上田政府参考人 現在、脳死された方の身体からの臓器提供について、いわゆるガイドラインにおいて、高度の医療を行う大学附属病院などの医療機関、四類型施設に限って実施ができるようになっておりますけれども、現在、九月末現在で、このような脳死下での臓器提供施設として必要な体制を備えていると回答している施設が三百三十八施設でございます。この中で、小児の救急なり小児のそういう治療体制が十分整っている施設がどれだけあるかについては、ちょっと私どもで現在把握をしておりません。
○高橋委員 今のお答えは、現在把握をしておりませんということでした。もちろん、決定をしていない中ですから、しかし、仮定の条件を入れた上でいうと、昨日担当課からいただいた数字は一つであります、子供の脳死に関して。
ですから、私が言いたいのは、本当に子供の移植が可能にできるような状況を開きたいという気持ちは、だれもがそれはわかるわけであります。しかし、法律が改正されて一遍に進むのではないのだ、そこに大きな期待と失望が、そして大混乱が起きるようでは、本当に現場が破綻する。そういう点では、条件を本気で整備をしていきながら、そして本当に、国民的合意、あるいはドナーカードの問題やドナーの家族の問題、これらをクリアしていくということがやはり必要なのではないか。そうした点でまだまだ議論が必要であるということを重ねて指摘をして、終わりたいと思います。
【意見表明】
○高橋委員 私がここで訴えたいことは、委員会審議をきょうで終わらせるべきではないということに尽きるものであります。
移植を一日も早くと待つお子さん、あるいは待ちながら既にお亡くなりになられた小さい命を思うと、何とか道を開きたいと私自身も思います。しかし、命の問題を需要と供給のバランスで論じることはできません。もともと子供の脳死は、大人が一%の発生率に比べ、〇・四%にすぎないのです。限られた症例、決まっていない脳死基準、受け皿施設の整備不足など、今のままでは、道を開いたものの、大きな失望と現場の大混乱を招きかねないと言わなければなりません。
子供の不慮の事故が多く、十分な救命医療を受けられず亡くなっているという現実、一週間に一人の子供が虐待で命を落としている現実をまずなくしていくことに力が注がれるべきです。そして、移植によらない医療へ国を挙げて取り組んでいただきたいと思います。
自己決定を条件としないという段階にはまだ条件が熟していないと思います。今も自分を責めているドナー家族、心臓停止までのみとりの時間を大切にしたいという御遺族の声が尊重されるべきです。そして、脳死と言われても生きている、体も大きくなっているという子供さんの御家族に対し、A案は一切影響を与えないのか。また、十五歳以上は現行で、それより下は家族の意思とするD案のスキームは、やはり矛盾が生じるのではないかとどうしても言わざるを得ません。
最後に、小委員会での参考人質疑はいずれも貴重な、心を打つ発言でありました。そこで出されたさまざまな意見に対し、本委員会が十分こたえる議論を行ったとはまだまだ言える段階ではありません。小委員会の枠にとどまらず、本委員会においてもぜひこうした機会を持つべきと提案をして、終わりたいと思います。
以上です。