国会質問

質問日:2024年 2月 29日 第213国会 予算委員会・公聴会

予算委員会中央公聴会で質問

子育て支援金に批判

西沢・鈴木氏「説明は詭弁」

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(写真)公述人に質問する高橋千鶴子議員=29日、衆院予算委公聴会

 衆院予算委員会は29日、2024年度政府予算案についての中央公聴会を開きました。

 中央公聴会では、「少子化対策」として政府が導入する「子ども・子育て支援金制度」について、公述人から批判が相次ぎました。

 日本総合研究所の西沢和彦理事は、国と地方自治体の行政活動とは一線を画し、民主的・自治的に運営される公的医療保険に財源を上乗せすることは「保険者自治の侵害だ」と反対を表明しました。

 鈴木亘学習院大教授は、賃金上昇を加味するので、支援金制度を導入しても国民負担率は上がらないとする政府の説明は「詭弁(きべん)だ」と断じ、「医療保険に財源を上乗せすれば同制度を壊す」として撤回を求めました。

 日本共産党の高橋千鶴子議員は支援金制度について、政治的思惑が勝り、制度設計が後回しになったのではないかと質問。西沢氏は支援金の平均負担額を1人「月500円弱」と試算したことについて、国民向けに「ワンコインならよかろう」との雰囲気をつくろうとしたものだと指摘。「各『ステークホールダー』(利害関係者)と交渉していたのだろうがそういう政治のやり方は間違っている。訴えるのはステークホールダーでなく、国民一人一人であるべきだ」と主張しました。

(「しんぶん赤旗」2024年3月1日付)

 

ー議事録ー

○高橋(千)委員 日本共産党の高橋千鶴子です。
 本日は、四人の公述人の皆様、貴重な御意見をありがとうございました。
 先ほど来、子育て支援金の財源をどうするかが話題になっております。政府は、一兆円の財源に対して被保険者で割ると大体五百円という大ざっぱな試算を出しちゃって、それが独り歩きしてしまったんだと思うんですね。西沢公述人が、保険の種類によって倍以上の人もいるといった試算を示し、これもまた大論戦となっておりました。やはり、複雑な医療保険の世界で額を試算するという技術的な問題は今日は脇に置きまして、考え方について質問したいと思います。
 西沢公述人は、昨年五月二十三日の日本総研のリポートの中で、少子化対策への社会保険料利用八つの問題点について論じておられます。制度がその後詳しくなったとしても今でも使えるというか、重要な指摘ではないかと私は思っております。
 特に、そもそも、社会保険料の使い道と料率は健康保険組合など保険集団内において自律的に決定されるものであって、保険者自治の侵害という指摘、本日もされておりましたが、ということはとても大事だと思います。
 私は、財源は消費税という声がずっとあった中で、やはり、それを言うと今世論が反発するからという政治的な思惑で出されてきているのかなというふうに思ったんです。そっちが先に来ちゃって、制度設計が後回しになり、そして、肝腎の子育て世代にも不人気で、かつ、世代間の分断にもなっている、こういうふうに思っておるんですけれども、この点で西沢公述人に御意見を伺います。
○西沢公述人 お見立てのとおりだと私も思います。
 五百円という金額は、去年の半ばからメディアを通じて出ていました。何にも情報がないところから新聞が報じることはありません。ですから、国民向けには、ワンコインならよかろうという雰囲気をそこで醸成していた。他方で、政府は各ステークホルダーと多分交渉していたんでしょうね。でも、こういう政治の仕方が、方法が私は間違っていると思う。訴えるのは、ステークホルダーではなくて、国民一人一人なわけです。ですから、本来であれば、そういう金額については、少なくとも審議会などで報告しながら議論していくべきである。
 消費税について私が大変懸念しているのは、この二十年近く、消費税が悪者になり過ぎているわけです。でも、今日お話ししたとおり、社会保険料を所得再分配目的に使うよりも、消費税を中心としたタックスミックスの方がよほど公平で、雇用への影響も和らげることができる。ですので、そうした理論的な議論を、増税ではないかというふうに与野党でたたき合うのではなくて、やらないと、先ほど申し上げたとおり、我が国全体として不幸になる。
 ですので、子供、子育て支援金を企画した人も、当然、消費税の方がいいと思っているはずなんですよね。でも、政治がそれを許さないから、でも少子化を止めなければいけないという使命感の下で苦肉の策として出した。でも、それがこうした不幸な結果になってしまっているということは、よくよく我々として省みる必要があると思います。
○高橋(千)委員 ありがとうございました。大変貴重な指摘だと思います。
 もちろん、御存じだと思いますが、我が党は、消費税でやれと言っているわけではございません。ただ、やはり、ヨーロッパの方ですと、高い消費税でもそこにリターンがある、年金にしろ、医療にしろ、教育費にしろ。やはりそういう納得感が得られての税率なわけですよ。ところが、日本の政府は、どちらかというと、税率だけそこにまねしようとしていて、実際、制度設計は追いついていないというそもそもの問題がありますので、この議論はまた別な機会にしたいと思います。
 子供支援金については、先ほど鈴木公述人もきっぱりおっしゃっていただいて、全く痛快な御指摘だったと思うし、全く同意するものであります。今日は、せっかくなので、年金のことを質問したいと思います。
 二〇二五年の年金改正の課題ということで、先生、学習院大学での論文を拝読しました。二〇〇四年の年金改正のときに、百年安心と言われたあのときに、マクロ経済スライドの導入によって十九年かけて年金水準を二割カットするんだ、そういう制度設計だったんだけれども、デフレが長く続いたためにマクロ経済スライドがずっと発動しないで、終了時期が長引いた、それは結果として現役や将来世代への負担押しつけになるという御指摘だったのかなと思っています。
 私は、この二〇〇四年のときはいないんですが、二〇〇六年以降、厚労委員会でずっと年金の議論に参加をしておりますので、先生が指摘している、厚労省の五年に一回の年金の財政検証、これに対しても、まず、経済成長率が余りにも、余りというか、夢みたいな率を出しているということと、それから、モデル世帯が現実的じゃない、そのことをずっと指摘してきたんですが、やはりそれを認めちゃうと年金で暮らせないという結論が出ちゃうので、そこをずっと先送りしてきたということが非常に問題にあるのではないか、このように思っております。
 その上で、やはり、基礎年金を増やすということが議論の中であったということがあって、私はそうするべきだと思うんです。基礎年金というのは、国民年金であり、被用者年金にとっても基礎となるものでありますので、ここはマクロ経済スライドをかけるべきではないとずっと議論してきたし、社保審の中でも議論されてきたはずだと思います。
 デフレの中で実質賃金が上がらないために、物価スライドではなく賃金スライドにしてきた。並びに、キャリーオーバーという形で、マクロ経済スライドをいずれ必ずするというふうになっちゃって、少しぐらい賃金が上回ってもそのときばっさりとスライドされてしまうという、私たちは年金カット法案と呼んだわけですが、これからインフレに向かう中でこれがどうなっていくのかという大変不安も感じております。このままこの制度はどうなのか、御意見を含めて伺います。
○鈴木公述人 大変重要な点を質問いただきまして、どうもありがとうございます。
 二つの問題に分けて考えるのが私はいいと思っていまして、年金財政の維持可能性という話と、それから、年金を物すごい最低のものしかもらえないという人たちの、何というか、再分配の問題、これを分けて考えるべきだと思います。
 まず一つは、今のままで年金制度がもつんですかという話なんですが、私は非常に厳しいと思います。
 というのは、今々、年金の運用がいいとかそういう問題じゃなくて、この先の百年とかいうような計画でございますので、そういう意味では、マクロ経済スライドをずっとサボっていて過大給付がずっと続いておりますので、これはやはり、計画どおりマクロ経済スライドを実行する、しかも、デフレであってもちゃんと実行するような、全体の話ですよ、国民年金だけというんじゃなくて全体の話としては、マクロ経済スライドがきちんと動かせるようにするだとか、それから支給開始年齢の引上げの議論をスタートするというように、遠い将来も年金という制度がもつための手は打つべきで、今、社保審の年金部会が議論しているような、そういうところには触らずにいようというような態度ではこれはまずいというふうに思います。
 ただ、それをやってしまうと何が起きるかというと、国民年金の受給者については、現状、平均額でいいますと四万円台ですけれども、ここから三割カットしなきゃいけないという話になるので、三万円台に踏み込んでしまうということですから、どうやって生きていくんですかという話になるわけなので、国民年金、基礎年金というよりは国民年金ですけれども、この救済というのは別途考えなきゃいけないということで、一つの方法としてはマクロ経済スライドをかけないという方法もあると思いますが、もっと別の形で考えるということもあり得ると思いますので、そこは別途議論すべきだというふうに思います。
 いずれにせよ、このまま三万円台の国民年金になってきますと、生活保護にということに、可能性としては非常に高まるわけですけれども、生活保護は全額公費で全額税金の制度ですので、だから、そういう意味では、どうせ生活保護になるんだったら国民年金をもっと、最低限の人がもっと手厚く、それで生きていけるようにするというような、これは、何といいますか、所得分配の話ですけれども、再分配の話ですが、それは別途議論しなきゃいけなくて、今みたいな、何か国民年金の保険料の納付を延長するから大丈夫だとかいうのは、全く無責任な話だというふうに考えております。
○高橋(千)委員 ありがとうございます。
 厚労省も結構、省の中で縦割りで、先生御指摘したように、年金はこれ以上出せないけれども生保ならいいでしょうと。それは、同じ省庁の中の税金の話なのに結局そういう矛盾を起こしているという点では、やはりきちんとした制度設計をしなければならないし、やはり、基礎年金を拡充するということをまず、二つに分けてとおっしゃったけれども、大事じゃないかなというふうに思っております。ありがとうございました。
 それで、もう一度西沢公述人に戻りたいと思うんですけれども、先ほど国保のお話をされて、大変興味深く聞きました。それで、今、国保の中の被用者が大体三分の一以上いるんだという資料も出されたと思うんですが、やはり、この間ずっと、事業者が経営をやっていくのが大変で事業主負担を払いたくないので、雇っているんだけれども国保になるということがすごく進んできたということがあると思うんですよね。その反映があるというのと、だけれども、逆に言うと、その被用者が、今、政府としては、国保ではなく被用者保険に入るべきだということで一生懸命やっているんだが、それをやってしまうと国保の財政自体がもたなくなるということもございますよね。
 そういう意味で、国保の制度自体がかなり限界に来ているのではないかということを思うんですが、率直に御意見、もしあれば伺いたいと思います。
○西沢公述人 我が国の健康保険は、原則、国民健康保険に入る、ただし、被用者保険に入っている方や後期高齢者医療制度の方はそこから抜けるという法律はたてつけですけれども、でも、そのたてつけとは裏腹に、結局、被用者保険や後期高齢者医療制度に入れない人が入る仕組みになってしまっている。そこに継ぎはぎ的に公費投入したりしていますが、今日も御覧いただいたとおり、現役世代の負担は重いですし、とても厳しいとは思います。
 今、政府がされている方針というのは、極力、国民年金や国民健康保険ではなくて被用者保険に入れようという、それは全く正しい方向性なんですけれども、ただ、年金の世界で議論になるのは、やはり国民年金保険料と被用者保険の保険料負担格差なんですね。国民年金保険料は一万七千円弱ですけれども、被用者保険は八万八千円に一〇%を掛けるとそれより安くなってしまうので、ここがネックになっています。
 その根源にあるのは、今の基礎年金制度というのが、基礎年金という独立した制度ではなくて、基礎年金拠出金を出して基礎年金をつくるという、いわばフィクションな制度になっていることに多分起因していると思うんです。ですから、ここを根本的に見直していかないと、本当に、国保に入っている被用者、国民年金でしかない被用者を被用者保険に入れていくというのは難しいと思うんです。
 私が理想としているのはカナダみたいな仕組みなんですが、それを、ルーティンとして開かれている審議会ではなくて、もう少し大きな枠組みで議論していくことが必要かなと思います。
○高橋(千)委員 ありがとうございました。
 社会保険の制度の今、矛盾が、逆に、今の支援金をそのルートでやると言ったがために本当によく見えてきたのかなと。これは、それこそびほう策で終わらずに議論する必要があるかなというふうに思って聞いておりました。ありがとうございます。
 次に、佐藤公述人に伺いたいと思います。
 予算に関わる様々な場面でコメントを求められていらっしゃると思います。伺いたいのは二つ。
 予備費の問題で、コロナ禍以降、大分予備費が増えてきているんですけれども、例えば十兆円規模の予備費であっても、その都度、コロナ対策だ、能登半島地震だとか言うからいいんだという話では本来はないんだろうということを確認をしたいということが一つ。
 同じ理屈で、今回、能登半島地震の被災者に、住宅再建のためだと言いながら、最大三百万円を議論している。これは対象もおかしい、地域もおかしいという批判が出て、しかも、二〇〇七年改正からずっと議論してきた内閣府をすっ飛ばして、全く無視して、これを厚労省の枠でやっている、これは絶対おかしいと思う。だから、我々は支援金を増やせとは言ってきたけれども、でもこういう決め方はおかしいと思うんですが、一言。
○佐藤公述人 御質問ありがとうございます。
 まず、御指摘のとおり、予備費というのは本来、例外であるべきであります。
 御案内のとおり、予算は財政民主主義に従うわけですから、予算の中身というのは国会で審議するものです。なので、予備費はその使途があらかじめ定かではないということになりますから、本来であれば、年度当初には予想できなかったようなことに対して、補正予算を組む前に迅速に対応するというための機動的な目的を持っているわけです。
 それに、その機動的な目的に対して年間数兆円が必要かというと、必ずしもそうではないというふうには思います。今回の予算案では、前、四兆円だった予備費が二兆円に一応下がったということで、若干の平常化が見られると思いますけれども、やはり巨額の予備費というのは本来であれば予算の中では例外であるべき。
 では、どうするかということですが、もし予備費について行政側に大きな裁量を認めるということであれば、その結果に対する説明責任を本来、国会で果たすべきということになります。予算ではなく、こっちは決算委員会になると思いますけれども、ちゃんと、予算の予備費がどんなふうに使われたのか、果たしてそれはどんな効果があったのかということについて見極めるべきだと思います。
 あと、御指摘のとおり、今回の三百万につきましては、被災者の方を考えるともちろん必要な措置かもしれませんが、その決め方についてこれでいいのかということはもうちょっと全体像を見て考えるべきだし、これからの能登の在り方も含めて、やはり全体のビジョンを持った上で、かつ、東日本大震災はそうだったわけですよ、創造的復興というビジョンの中でいろいろなことをやったわけでもありますので、やはり、そういう全体を見ないままでつまみ食い的に支援の拡充というのは、後々に禍根を残すかとは思います。
 以上です。
○高橋(千)委員 ありがとうございました。

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