国会質問

質問日:2013年 5月 8日 第183国会 東日本大震災復興特別委員会

「故郷帰りたい」「生業再建へ懸命」委員会包む被災者の叫び -参考人質疑

(写真)意見陳述する綱島不二雄参考人。左端は質問する高橋ちづ子議員=8日、衆院東日本大震災復興特別委員会

(写真)意見陳述する綱島不二雄参考人。左端は質問する高橋ちづ子議員=8日、衆院東日本大震災復興特別委員会

 「被災地の声を聞いているのか」「故郷へ早く戻りたい」衆院東日本大震災復興特別委員会の参考人質疑(8日)は、被災者の叫びと怒りにつつまれました。

高橋議員が質問

 「浪江に帰りたい。帰れる気もする。帰れないとも思う。避難して歩くのは区切りが付いた。でも心は漂流したままである」

 福島県の双葉地方農業共済組合の山田四郎組合長が避難生活者の訴えを読み上げると、委員会室は静まりました。

 質問に立った日本共産党の高橋ちづ子議員が、全面賠償に応えない東電の姿勢をあげると、山田さんは「家財補償は1人あたり50万円。そんな額では納得がいかない」、「適切かつ円滑な賠償を被災者の当然の権利として行ってほしい」と訴えました。

住民が戻れる制度設計ない

 「小さな花屋を出すことは、(避難先で)お世話になっているのに商売敵になってしまう。屋号の『はなさく』の看板で商売ができないのがつらい」

 福島県会津若松市で避難生活を送る気持ちを切々と語ったのは、大熊町商工会の蜂須賀禮子会長。再開した事業所は以前の35%に満たないとのべ、「グループ補助金を使えるのは1度だけ。大熊町に戻ったら使えない」とのべ、復興を担う中小業者への支援制度の改善を求めました。

 JA名取岩沼(宮城県名取市)の今野裕章青年部委員長は、水田の3分の1が作付けできるようになったが、ガレキが残る農地もまだまだ多く、「農業で培った我慢強さがあるが、みな心が折れそうだ」と支援の拡大を訴えました。

 塩釜商工会議所(宮城県塩釜市)の桑原茂会頭も「希望の光が見え始めた」とのべつつ、風評被害をはじめ困難な課題が数多くあり、水産・加工業再生へグループ補助金の継続と適用基準の緩和を求めました。

 「若い人と子どもが村に戻ってくるには、医療と教育環境が中心問題」とのべたのは、“帰村宣言”した福島県川内村の遠藤雄幸村長。「住民が戻るための制度設計がない。戻るための枠組みつくりが必要」と要望しました。

 福島県の南相馬市立総合病院の及川友好副院長は、市内の旧緊急時避難区域にあった5病院のうち四つが原発事故後、休院したことを報告しました。南相馬市は事故前の7割まで人口が回復したものの、老年人口が35%になり、幼年人口は半減。「国が20キロ圏内地域の明確なビジョンを示さないと医療復興の展望が持てない」と語りました。

公的支援制度打ち切り批判

 これから復興というときに公的支援が打ち切られていることへの批判が相次ぎました。

 「宮城だけが医療費窓口負担の免除措置が3月で打ち切られた」

 こう批判したのは、東日本大震災復旧・復興支援みやぎ県民センターの綱島不二雄代表世話人。打ち切り前に「かけ込み診療」が相次ぎ今は患者が激減したとのべ、免除復活が被災者の圧倒的多数の願いだと求めました。

 宮城県の須田善明女川町長も「全体の復興期間と各制度の期間設定が違う。いつまでやってくれるか担保がほしい」と支援延長を要望しました。

 水産加工「かくりき商店」(岩手県宮古市)の小堀内将文専務は、被災者を雇用した事業主に支給される事業復興型雇用創出助成金の延長を求めました。

 高橋議員が、グループ補助金の遡及(そきゅう)補助制度が3月で打ち切られたことをあげ、「これから活用という企業も多く、制度を拡充すべきでないか」と質問すると、桑原会頭は「申請しようとしている会社もまだまだ残っている」と継続を求めました。

原発の再稼働 TPPに反対

 被災者を無視した原発再稼働や環太平洋連携協定(TPP)、「水産特区」に対し怒りが相次ぎました。

 山田組合長(双葉地方農業共済組合)は「福島県は県内の原発をなくす宣言をしている。東電は変な物体を早く除去してほしい。こんなエネルギー政策をとった国も一緒になって速やかに除去してほしい」と力をこめました。

 遠藤川内村長も「原発再稼働は、事故が起きた事実(の一点)で認めたくない。代替エネルギーがなければ再稼働反対といってはいけないのか」。

 営利主義を持ち込み浜の秩序を壊す「水産特区」について綱島さんは、県民無視で宮城県知事が申請を強行したことを批判。宮城県の石巻魚市場の須能邦雄社長も漁業者との十分な議論が尽くされていないと訴えました。

 TPPについて須能社長は「各国事情を考慮しておらず、生存権にも影響する問題だ」とのべました。

(しんぶん赤旗 2013年5月10日より)

 

――― 議事録 ――――

○高橋(千)委員 日本共産党の高橋千鶴子です。
 きょうは、四人の参考人の皆さん、本当に貴重な御意見をありがとうございました。
 国会は何をしているのかという思いが非常に込められていたと思います。これからの私自身の発言や行動の中でしっかりと返していきたい、そういう決意を最初に述べさせていただきたいと思います。
 まず蜂須賀参考人にですけれども、先ほどちょっと質問の中でありましたけれども、やはり、国会事故調に避難生活を続けながら参加をされ、被災者の一人として発言をされてきたことの意味というのは本当に大きかったのではないかと思います。東電の勝俣前会長に対して、どこの会長さんですかという発言、大変厳しい追及をされたということも拝見をしております。
 それで、事故調が住民に対するアンケート調査とかタウンミーティングを御精力的に開いたということは、私は非常に大事なことだと思っていて、その中で、例えば大熊町でいいますと、渡辺町長さんも、原発は多重防護がされているので大事には至らないと考えていたということを告白されていたりとか、蜂須賀さん自身が双葉の町民の方に、事故のこと、原発のことを想定されましたかと質問されて、自身も、まさか地震と原発事故がすぐには結びつかなかったということをおっしゃっているかなと思うんですね。
 そういうことの認識と、同時に、その中で大熊町の消防団の方が、地震の直後と爆発の二度、死を意識したということを松本さんがおっしゃいまして、その上で、あのビキニ被曝の久保山愛吉さんの言葉を紹介されて、「私どものようなこういう悲惨な経験をした者は最後にしていただきたい」とおっしゃいました。私はやはりここに尽きるのではないかと思うんですね。
 やはり一日も早い原発事故の収束と、同時に、こういう思いを誰もが繰り返さないために、やはり原発の再稼働はしないという決断が求められていると思うんですけれども、御意見を伺いたいと思います。

○蜂須賀参考人 再稼働につきましては、私、ここでは述べさせていただけないかなと思います。
 正直申しますと、先ほどちょっと怒りに任せてお話しさせていただきましたけれども、あの原子力発電所で生活が成り立っていたことは間違いございません。
 私も、商人として、よくいろいろなところで再稼働はどうすると聞かれますけれども、正直、私には二つの気持ちがあるとお答えさせていただいています。一つは、あそこで商売をしていた者、あの原子力発電所があるがゆえに生活が成り立っていた、もう一つは、もう二度と私たちみたいな原子力発電所の被災者は出しちゃいけないという強い思い、この二つが入りまじっております。
 ほかの地域での原発事故があって福島第一発電所がとまったならば、私たちがこういうふうな悲惨な生活を経験することがなかったならば、もしかしたら私たちも再稼働を叫ぶかもしれません。先生方もいろいろなところの立地町に行っていると思うんですけれども、本当に火の消えたような悲惨な状況でございます。あれが大熊町にももしかしたらあったかもしれません。
 ただ、ああいうふうな事故を起こさないためにも、もっともっと原因を追及して、そして、再稼働を考えると言ってはおかしいんですけれども、私は、再稼働もあってもいいし、ただ、古い原子力発電所は動かすべきではないと。私個人の意見です。個人の意見です。これは経験した者の苦しい思いと思っていただければありがたいと思いますけれども。
 もう本当に、なぜ原子力発電所でこんなに苦しい生活をしなければならないのかな、なぜ全国の人たちがあの当時は助けてくれたのに今は私たちが非難を浴びなければならないのかなと、今痛烈に感じております。その被災者の、変な意味での世間からの冷たい言葉というものを、先生方、どうぞ感じていただきたいと思います。補償をもらっているからいいだろう、だから遊んでいるんだろう。誰が好きで遊んでいるんですか。誰が好きであんな二間、一間のところで生活。
 さっきありましたけれども、東京の方からなぜ福島第一発電所まで行って作業しなければならない。そこには、先ほどおっしゃったとおり、責任があると思います。あそこの原子炉の中を十分に知っているのは、あそこで何十年と働いてくれていた作業員の皆さんじゃなかろうかと思っております。その作業員の方が、家族とばらばらになりながらも、あそこを収束させなければならないという思い、これも先生方には感じていただきたいと思います。とても悲しいことです。
 うちの場合も、娘の旦那はやはり、反対に千葉に来て働いております。あそこに残されたお母さんたちが、一週間に一遍、二週間に一遍帰ってくる父親のかわり。自分のうちでやっているのとまた別です。知らない土地で子供を育て、知らない人たちとのおつき合い、これは大変に苦しいことです。
 若い人たちは新しい地を求めていけますけれども、私たちの年になりますと、新しい土地を求めて何かをしようという気持ちには今はなれません。あの仮設住宅に残っている方たちはお年寄りが多くなってきております。
 済みません、まとまりません。よろしくお願いします。

○高橋(千)委員 率直な御意見、ありがとうございました。
 私も青森県の出身でございますので、原発の問題は避けては通れない課題であって、立地町の首長さんに対しても、私たちは、原発がなくても、だからといって、そこで働いていた人たちや、そこで地域経済が成り立たなくなるというふうなことではない対案を持って訪ねて歩いておりますので、ぜひそういう立場で御理解いただければなと思っております。ありがとうございました。
 山田参考人に伺いたいと思うんですが、住民の声を紹介していただきました。本当によく伝わりました。ありがとうございました。特に津島の問題は、馬場町長も本当に泣いて悔しがって訴えていらっしゃったことを本当に忘れることができません。
 ただ、浪江町はやはり、五年は帰らないと決意をしつつ、リトル浪江の取り組みですとか、そこに診療所を張りつけて、地域のコミュニティーを維持しながら頑張っていくということを取り組んでおられたと思いますので、そこに支援をしていきたいなと思っています。
 そこで、伺いたいのは賠償の考え方ですよね。やはり地価ではとてもじゃないがやっていけない、再建が可能なものをきちんと賠償するべきだということと、それがまだ途中である、一回払ってそれで終わりよということではない、まだ再建の途中であるというふうなことから考えても、そこに課税をするというふうな考え方もやはりおかしいのではないかなと私は思っているんですが、一言お願いします。

○山田参考人 私も言いたかったことなんです。
 例えば、私はひとり暮らしです。精神的な慰謝料については、月十万で、包括的に三年ぐらい今度支払われたんですね。私の場合は、一人で三百九十何万か。そうすると、五人家族は、単純に言うと一千二百万ぐらい入ったんじゃないかと思います。
 だから、これは、そういう考え方、精神的な慰謝料についての賠償の考え方に、例えば私個人になって申しわけないんですが、ひとり暮らしでも経費はほぼ変わらないんですよ。今は、家賃が国に負担していただいておりますから、何とか生活はできます。でも、これがいつ打ち切られるか。平成二十六年ですか、そのぐらいで打ち切られたら、その後は、月十万の慰謝料ではとても生活ができないと思う。
 さっき、蜂須賀さんも、商業をやっている方は、農業者は全て賠償してもらえるから、公務員は働きながら賠償してもらえるからというようなお話がありましたが、これは本当にそれが崩れればだめだと思います。
 ただ、財物的な賠償について、これもまた変なんですよ。高橋先生にお願いしたいことは、やはり今まで生きて培ってきた財産というものがあるんですね。例えば、家財を補償しますといっても、それも一人当たりなんです、一人五十万とか。こんな理不尽な話はないではありませんか。
 私は七十三年間生きてきたから、ちょっとは親に買ってもらったものもあるし高級なものもあるでしょう、娘に買ってやった訪問着もあるでしょう。そうしたら、一人五十万の補償では当然、納得いかない家庭があると思います。
 これは、十人の家族があれば五百万になるからね。そうしたら、一人も二人も同じですかという、そういう賠償の基準を誰がつくるんだか、東京電力でつくるんだか何だか、まず公平でないと私は思っております。もっと被災者の身を考えてやるべきじゃないか。もちろん、東電ではだめだったら、国の御指導を仰ぎたいと思っております。
 以上です。

○高橋(千)委員 ありがとうございました。全くそのとおりだと思います。引き続いて頑張りたいと思います。
 残された時間が非常に厳しくなってまいりましたので、予定した質問がかなり残ったんですが、遠藤村長と及川副院長にそれぞれ、人に関する問題で質問させていただきたいと思います。一遍に言いますので、時間の中で何とかおさめたいと思います。
 帰村宣言をされてから四割の村民が戻ったということに対して、まだ四割とか、高齢者が多いじゃないかとか、そういう指摘がいろいろあります。でも、村長は、多分そういうことは全部織り込み済みで、全部整ってから帰村するというのではとてもいつになるかわからない、そういうことを覚悟の上で、やはりまず役場が出ていくんだ、そういうふうな思いだったと思うんですね。
 ですから、ただ帰ることがいかに困難かという村長のお言葉というのは、非常にいろいろな課題を本当は含まれているのではないかなと思うんですが、ちょっとお話の中になかった、役場が前面に出ていくことで、職員の皆さんも、それぞれに区域が分断されたり、家族がある中で大変な御苦労をされているし、当然、体制的にも非常に不十分ではないかということがございます。そういう点に思いをしてぜひ御発言をいただきたいと思います。
 及川参考人に対しては、南相馬市が分断をされて、かつてない長期間の屋内退避をされる、その中で、入院も受け入れられないし、職員も避難をさせなければならない、だけれども医療体制を維持してきた大変な御苦労をされました。
 その中のスタッフの御苦労ですとか、先生御自身が医事新報に書かれておりまして、逃げたくなるときはなかったのかというインタビューがあって、いや、もちろんそれはあったけれども、今とてもそれはできないということで決意をされて踏みとどまって、市立病院として、臨床研修医を育成するなどして医師をふやす取り組みをされてきましたよね。
 だけれども、それが全体としては、やはり市立病院だけが足りても間に合わないということですとか、さまざまな意味でまだ不足している課題があると思うんですね。ですから、その取り組んできた成果と課題ということでお話をいただきたいと思います。よろしくお願いいたします。

○遠藤参考人 行政運営において、やはり職員の役割は重要だと思います。まして、こういう緊急時です。ある面では臨戦態勢のこういうときに、職員の果たす仕事は一人二役、三役ということで、本当にありがたいことだなと感謝しています。
 職員みずから被災を受けています。家族がばらばらな職員もいますし、単身で村に戻られたという職員もいます。そういう中で彼らを支えているのは、やはり大義だと思います。その大義は何かというと、やはり、復興させてやろう、新しい川内村をつくろう、そういう大義、使命感だというふうに思います。
 ただ、時間の経過とともに、いつまでもその緊張感は続きません。こういうストレスをどう我々がとってやるかということが、二年目、三年目の一つの課題だというふうに認識しております。

○及川参考人 及川でございます。
 南相馬市全体の医療のことを考えた場合の課題をまず最初に挙げます。
 一つは、スタッフ不足だったんですね。それも、スタッフ不足の中にこういうことが起こりました。南相馬市に、旧緊急時避難準備区域に五つの病院があったんですが、我々の病院にスタッフが集まったんですね。つまり、ほかの病院をやめて我々の病院に、具体的には看護師さんが何人か集まってきました。これ自体には行政の方からもかなりクレームがあったんですね。五つの病院があって、その中で我々の病院だけがよくなっていいのかというクレームがあったんですが、我々が答えたのはこうです。
 医療効果を考えてみてくれと。五つの水道があって、全部泥水が出ていても誰も助からない、一つの水道だけでもきれいな水を出さなければ市民は誰も助からないんだと。ですから、平時だったらそのような考えはいいんだろうけれども、緊急時には飲める水を出さなくちゃいけない、一つの病院だけでもきれいにしなくちゃいけないということで、これは御理解いただきました。
 現在の問題です。先ほども挙げましたが、病院が開いていません。一番大きなボトルネックになっているのはスタッフ、特に看護師さん、看護師不足です。これを今後どういうふうに克服していくかが大きな問題で、今後の議論にまたれるところと思います。
 以上です。

○高橋(千)委員 終わります。ありがとうございました。

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