4月9日

「たっちとるかちゃん」

 夕べ久々に教え子から電話があり、東京に出てくる用事があるというので、国会を見せてやろうということになりました。小学生のるかちゃんと一緒にまずはお部屋で記念写真。高校2年生のとき担任した彼女は今でも私を「ちこちゃん」と呼び、るかちゃんまでちこちゃんと呼ぶのでかなり気恥ずかしかったのですが。私も相変わらず「たっち」と呼び、昨日わかれたばかりのように、時間の壁はありませんでした。たっちは運動部だったので、寮に住んでいました。学校と棟続きの寮であり、練習も激しく、ほとんど休みもなかったのです。いろいろ思い出はありますが、進路指導を担当していた私は、3年生になったら就職、進学それぞれの希望がかなうように懸命に援助をしたい、といろいろクラスで話し合いなどをしていたのに、突然私は次の年も2年生をもつことになってしまったのです。私立高校ですから、転勤はないのですが、校長先生の一存で人事が動くのです。私はたっちとクラスでもう一人寮にいる子と一緒の部屋で「なんで、なんで」といいながらコタツに入って泣いたことを覚えています。

 私は教師としてはとても未熟だったと思います。弱さも甘えもみんな生徒の前にさらけ出していた感じがします。今年、私がはじめて3年間担任したクラスのT子からきた年賀状の中に「先生、当選おめでとう。いつも「私はYes,I can.が好き」って言っていたよね。」と書いてくれていました。へー、生徒の前でしゃべっていたかな、と思いながら。さて、るかちゃんはとてもお行儀もよく、きちんとあいさつもし、人見知りもしない元気のいい子でした。たっちが、るかちゃんに「お勉強うんとしたら、国会で働けるかもね」といったら、「ちこちゃんみたいに?なりたい!」と言っていました。

教え子のたっちとその娘るかちゃんといっしょに