県議時代、こんな仕事をしました

●毎年、商工団体と懇談をかさね、03年2月には「景気と雇用対策の提案」を発表。

●30人学級は教職員、父母などの運動を励まし、県独自の少人数学級の拡充すすむ。

●BSE問題では、他党にさきがけ現地調査。県・政府交渉を重ね特別措置法に実る。

●豪雪被害では、青森市議団とともに政府交渉を毎年おこない除排雪の徹底進む。

●県境不法投棄問題では県4政府交渉をねばり強く行い奮闘。特別措置法が実現。


☆99年、県議初当選の涙・・

 九九年四月十一日、県議初当選は、現職落選とともにもたらされました。青森市での複数議席に初めて挑戦し、得票を一・65倍化!・・・しかし二議席には届きませんでした。私はその場に崩れ、泣きながらの万歳・・・

 翌朝(当日)私は、いつものビラまきコースを1周して当選のご報告、選挙事務所までの道のりを挨拶しながら歩きました。「結果が出なくて出なくて心配したよ。嬉しくて涙が出た!」と喜ぶおばあちゃん。商店街では、「今噂をしていたところだよ。よかったねー」どこでも歓迎され、こんなに応援してくれた皆さんのために、働かなければ。今日から4年後の選挙で必ず複数議席を実現させる地盤を私自身がつくっていくんだ・・・体の底からふつふつと力と勇気が湧いてくるようでした。

☆教師の思いを生かし、教育問題を毎回質問。

 毎議会必ずとりあげたのは三〇人学級問題。学校の安全という点でも、教師の心の病が進んでいるという点でも、あらゆる角度から「1人1人に目の届く少人数学級を」求めてきました。日の丸君が代から学校の耐震診断まで教育問題は多岐にわたりました。市議団と連携して学校調査をした初議会、「体育館の壁に穴があいてビニールでふさいでいる。ギャラリーにつかまったらぐらぐらと揺れた」と発言した直後、「その学校はどこですか」と血相を変えて県教委が控え室に飛び込んできました。この問題はその後、国会議員団も予算獲得に奮闘しましたが、青森県はいまだに小中学校の耐震率は1割未満。地震が続く中、最も急がれる課題でもあります。教師と父母の長年の署名、請願活動とあいまってついに少人数学級に県単独で歩みだしたとき、予算獲得に苦労をしたという職員が「すぐに報告できなくてすみませんでした」と、すがすがしい顔をしていたのが印象的でした。

☆商工観光労働委員会から出発

 最初に所属したのは水産商工観光労働委員会。雇用対策や、大型店出店などの地域経済問題は四年間のライフワークになりました。毎年、経済団体と懇談を重ねるうち、経営者協会の専務が「日経連の提言」をコピーしてまっていてくれたり、「共産党が何しにきた」といぶかしがった日商連幹部が行くたびにまっていたとばかり、話がつきないことも。青森の老舗のスーパー亀やチェーンが倒産。2000世帯もある戸山団地にたった一つのスーパーが撤退という事態になり、党と後援会がすぐに申入れや電話アンケートにとりくみ、最後は副知事に責任を迫り、スーパー誘致が実現など。

2年目は、建設公営企業委員会で、核燃サイクル問題を毎月追及。公共事業の入札制度の改善も進みました。雪問題をはじめとする地域要求では、市議団との連携で前進させました。3年目は、環境厚生委員会で、介護保険、国保税の減免制度、地域医療の確保や救急医療問題、小児医療から保育問題など。衛生監視率が全国平均より低い中、消費者参加の監視システムを提言。知事の好みでどこにでもオオヤマザクラを植える政策に反対、これは新知事がとりやめました。4年目は総務企画委員会で県、市町村財政や合併問題にとりくみました。全国1高い知事の交際費(1100万円)を引き下げさせたり、予算要求過程の透明化をはかりました。審議会委員の報酬格差を是正させ、1500万の削減効果も。

☆県民とともに歩んだ四年間

7倍という大会経費傍聴が大問題になった冬季アジア大会では特別委員会開催要求を他会派と共同してとりくんで注目されました。また、この問題での見解をまとめた県議団だよりを全戸配布。これにつけたアンケートはがきには日本共産党への激励や要望とともに、「これまで県政について関心をもたずにいた自分が恥ずかしい」と一主婦の声がよせられるなど、感動をうけました。党組織や住民、国会と力合わせ徹底解明にとりくんだ県境産廃不法投棄事件。BSE問題では地元農協理事会におじゃまして要求を聞き取り、県、政府交渉へ。八戸市の一住民の告発電話をもとに、学校給食へ不適正表示米使用問題を追及、ついに教育長が謝罪など。地元紙に大きく報道されたのを見て「共産党が大好きになった」とその人は電話をくれましたが、まさに県民とのキャッチボールをしながらとりくんだ四年間だったと思います。

☆いまにつながった論戦

 セクハラ問題で世間を騒がせた木村前知事を辞職に追い込んだのも、日本共産党県議団がいち早く申入れをしたり、委員会審議で論戦をしたことが大きな世論作りへのきっかけとなりました。今、新しい知事が「津軽海峡大橋はやめる」としていますが、この四年間で海峡大橋問題を繰り返しとりあげ、調査だけで30年、建設費が5兆円(?)、維持費だけで少なくとも年間300億円という膨大な計画を指摘し、1兆5000億円の経済効果などという宣伝自体何の根拠もないことを明らかにし、きっぱり反対の論陣をはったのも高橋ちづこだけでした。 



高橋ちづ子Homepage
著作権:日本共産党東北ブロック事務所