ちづ子へのエール住民とともに(質問のエピソードと会議録など)
ちづ子通信

総選挙をたたかって

※本稿は、しんぶん赤旗「北海道・東北のページ」に2回連載されたものです。

 

支持者のみなさんとともに当選を喜ぶ(右から)中島康博・宮城県委員長、高橋ちづ子、遠藤いく子・宮城県議=12月14日

支持者のみなさんとともに当選を喜ぶ(右から)中島康博・宮城県委員長、高橋ちづ子、遠藤いく子・宮城県議=12月14日

 解散時8議席が21議席に2.6倍化!18年ぶりの大躍進でした。東北ブロックでも、得票で12万余票を伸ばし、あと5万1358票で2議席まで迫りました。大変な悪天候の中、先頭にたってたたかった小選挙区候補はじめ、猛奮闘された各県の党員、後援会員、支持者の皆さんに心から感謝申し上げます。とりわけ、「原発事故の被災地福島から国会議員を」と、比例候補の岩渕友さんへの期待は非常に大きかったことと、「東北から2議席を」と、心ひとつに追い上げてきていることが、ひしひしと迫りました。届かなったことは悔しいですが、たたかいの中で展望を開いたことに確信をもちたい。今後、比例定数削減や選挙制度の改悪も予想されますが、どんな悪条件でも議席をとれる、そして増やす、ことを目標に新しいスタートを切りました。
 「この党が伸びずして、どの党が伸びるのか」ー11月21日の衆議院解散直後、地元紙のインタビューに答えた言葉です。3年間の民主党政権の裏切り、2年間の安倍自公政権の暴走政治、そして第三極と呼ばれた政党らの右往左往ぶり。ど真ん中で見てきたからこそ、強い実感があったのです。
 安倍総理の「世界で一番企業が活動しやすい国」を実現するために、雇用の規制緩和がねらわれ、その第1弾として、労働者を不安定雇用にしばりつけ、「生涯ハケン」の労働者派遣法改悪が臨時国会の焦点となりました。私に言わせれば、「2008年の派遣村を忘れたか?派遣法を骨抜きにしてしまったのは民主党あなたたちだ」といいたい。しかし野党が割れることが自公を助けることにもなります。ともかく廃案めざして野党の話し合いを重ね、立場が違う野党の足並みを最後までそろえたのです。委員会審議冒頭の理事会に公明党から修正案が出されました、野党は「与党である公明党が修正案を出すということは、原案に欠陥があると認めたことになる。出しなおすべきだ」とつっぱね、とうとう厚労委員長は、野党不在の委員会を2度も強行開催せざるをえなくなりました。大手紙記者によれば、「共産党と次世代の党は欠席しないから野党の足並みは崩れる」と踏んでいたそうです。野党の意見をまったく無視した横暴な運営はまかりならぬ、と譲らなかったことが、結局廃案に追い込むことになり、共産党の態度がカギになったと思います。
 一方、過労死防止対策推進法を超党派で成立させました。昨年の臨時国会で、家族を過労死、過労自死で亡くしたご遺族の願いを形にした「過労死防止法」案を野党だけで提出、原案に難色を示した自民党も通常国会での成案を約束しました。今国会、自民党により修正されたとはいえ、「過労死」という言葉がはじめて法律に書き込まれた法律が誕生したのです。私は、選挙戦で、「このたたかいを力に、新しい国会では、残業代ゼロなんていわせない。正社員が当たり前の人間らしく働くルールを作ります」と訴えました。山形県酒田市で、「昨日、和解しました」と声をかけられました。Iさんの息子さんは、ファミリーレストランで店長代行をまかされ、一月100~160時間も残業をして25歳の若さで突然死されたのです。亡くなった家族は帰ってこないけれど、もうこんな思いをする人がないように、実効あるものに頑張りたいと思います。
 選挙を意識した民主党と、その民主との連立や選挙区調整を意識した第三極に何度も裏切られながらも、このように実を結ばせてきたことに確信もち、「日本共産党が伸びれば政治が変わる」という訴えに力をこめました。国替えの末落選した某党の議員が、「共産党さんの大躍進、私もうれしいです。しっかりと政権に対峙する姿勢が評価されたのだと思います。本来野党とはそういう姿勢を強く持たねばなりませんが」と、メールをくれました。
 今回の選挙で、全国農政連からはじめて推薦状をいただきました。選挙中と後、東北6県すべての農協中央会を回りました。推薦願いを出した青森県農協中央会の岡山会長は、「二大政党ではだめだ。行事役のような日本共産党が必要」と語りました。米価の大暴落にゆれる農村部では、自民党に裏切られた、共産党しかない、という声が多かったようです。政府の規制改革会議が、農協を狙い撃ちした農協改革を押し付けてくる中で、「農業をわからない人ばかりで決めている」と、怒りの声が次々と寄せられました。共産党前職を推薦することで、自民党に一矢報いたいという思いだったといえるのではないでしょうか。
 解散直前に開かれた青森県内商工会長との懇親の席上では、県会長も自民党代議士も、「共産党も含めて全員の当選を」と挨拶し、「共産党は伸びるよ」と言われたり、頑張ってと口々に激励されました。いわゆる「保守」といわれる人たちが、自民党政治の裏切りや、数を力にした暴走政治に危機感をもち、これと対決できる党として、共産党への期待を寄せていることが各地で実感できました。
 私は、2年前の総選挙の際、「被災地の復興はまだこれから。東北の共産党の議席を明け渡すわけにはいかない」と訴え続けました。全体で議席を減らした選挙で1議席を維持できたのは、3・11の大震災を経験して、全国から大きな支援をいただいたこと、何より自ら被災した議員をはじめ、被災地の党組織が献身的に被災者救援の先頭に立ってきたことが大きいと思います。被災者自らたち上がり、対県、政府交渉にのぞむなど、東北がたたかいの中で仲間を増やしてきたと思います。6月に、福島県川内村に入り、避難先の郡山市の集いで結びついたSさんのお宅で集いを開いたことがありました。党議員のいない村で、共産党ってほとんど見たことない、どんな話するの?と集まってきた方たちが、「帰還したといっても、病院も商店もほとんどなく、暮らせる状況ではない。同心円の線引きのために、賠償金ももらっていない」など率直な声をあげ、最後は「次にテレビに出たらちゃんと見るね」といってくれました。その時のSさんが50票も集めてくれたよ、と選挙中に聞かされました。郡山市で被災者によりそった党の活動があったからこそです。
 9月に山田町の仮設住宅で集いを開催したとき、1人が入党を決意し、その後の声かけで計4人に。11月公示直前に同じ集会所でもう一度集いを開きました。初めてのときとは参加者の緊張もほぐれ、「4度目の仮設暮らしはもうたくさんだ!」「地元の自民党代議士は来たこともない。共産党だけだ」など声があがりました。木村洋子町議が、「高橋千鶴子と書くと無効になるのよ」と話すと、「そうなのか!」と驚きの声が。多分2ヶ月前は私の名前すら知らなかった皆さん。信頼の絆をこうして、一歩一歩広げてきたのだと思います。
 1月26日通常国会開会が決まったようです。安倍総理は信任を得た、として長期政権をねらっているようですが、とんでもありません。自公325対共産21は、巨大な開きがあるように見えますが、若い、新しい仲間たちと、そして送り出してくれた東北、全国の仲間と力あわせて暴走政治にストップかけるため、全力で頑張ります。

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